「しるかせん」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
2行目: | 2行目: | ||
(chinese) Zhii lou jiaa chen、(sanskrit) lokakSema | (chinese) Zhii lou jiaa chen、(sanskrit) lokakSema | ||
− | 中国、後漢の霊帝・献帝のころの訳経僧。生没年不詳。支は大月氏の人であることを示し、略して支讖という。 | + | 中国、後漢の霊帝・献帝のころの訳経僧。生没年不詳。支は大月氏の人であることを示し、略して支讖という。<br> |
− | 後漢の[[147年]](建和1)洛陽に来て、初めて大乗経典を漢訳したことで知られ、小乗経典を漢訳した[[あんせいこう|安世高]]と対比される。[[179年]](光和2)に訳出した『道行般若経』等は知識人に強い影響を与えた。 | + | 後漢の[[147年]](建和1)洛陽に来て、初めて大乗経典を漢訳したことで知られ、小乗経典を漢訳した[[あんせいこう|安世高]]と対比される。[[179年]](光和2)から[[184年]](中平年間)に訳出した『道行般若経』等は知識人に強い影響を与えた。<br> |
+ | 支婁迦讖が訳出したものには、[[しょうじょうぶっきょう|小乗仏教]]の仏典はひとつもない。訳出仏典の中でもっとも重要なものが『道行般若経』であり、これは『小品般若経』の異訳であり、般若経典類最初の訳出である。<br> | ||
+ | また、『般舟三昧経』の訳出によって、初めて中国に[[あみだぶつ|阿弥陀仏]]が紹介されたことも、中国仏教にとって大きなエポックであったと言えよう。 | ||
===訳出経典=== | ===訳出経典=== |
2004年4月14日 (水) 09:47時点における版
支婁迦讖
(chinese) Zhii lou jiaa chen、(sanskrit) lokakSema
中国、後漢の霊帝・献帝のころの訳経僧。生没年不詳。支は大月氏の人であることを示し、略して支讖という。
後漢の147年(建和1)洛陽に来て、初めて大乗経典を漢訳したことで知られ、小乗経典を漢訳した安世高と対比される。179年(光和2)から184年(中平年間)に訳出した『道行般若経』等は知識人に強い影響を与えた。
支婁迦讖が訳出したものには、小乗仏教の仏典はひとつもない。訳出仏典の中でもっとも重要なものが『道行般若経』であり、これは『小品般若経』の異訳であり、般若経典類最初の訳出である。
また、『般舟三昧経』の訳出によって、初めて中国に阿弥陀仏が紹介されたことも、中国仏教にとって大きなエポックであったと言えよう。
訳出経典
- 道行般若経 どうぎょうはんにゃきょう 大正 vol 8. p.425
- 般舟三昧経 はんじゅざんまいきょう 大正 vol.13 p.897
- 首楞厳経 しゅりょうごんきょう
- 阿閦仏国経 あしゅくぶっこくきょう 大正 vol.11 p.751