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金光明最勝王経(金光明経(こんこうみようきよう))を講讃し、国家安穏・天皇息災を祈る法会。日本で著名なのは以下の三つ。 | 金光明最勝王経(金光明経(こんこうみようきよう))を講讃し、国家安穏・天皇息災を祈る法会。日本で著名なのは以下の三つ。 | ||
− | # | + | # '''宮中最勝会'''。[[ごさいえ|御斎会]]ともいい、毎年正月8-14日まで大極殿(後に清涼殿)で行われ、天皇御前での内[[ろんぎ|論議]]を伴う。768年(神護景雲2)に創始、宮廷年中行事第一の大事といわれた。<br><br> |
− | # | + | # '''[[やくしじ|薬師寺]]最勝会'''。毎年3月7-13日まで講経と論議を行う。830年(天長7)(829年とも)創始。<br>[[こうふくじ|興福寺]][[ゆいまえ|維摩会]]、1の御斎会と共に「南都三会(なんとさんね)」または「南京三会(なんきようさんね)」と呼ばれ、[[こうじ|講師]]にはこの二会講師歴任者を任じ、三会講師を勤め終えた者は[[いこう|已講]]と呼ばれて将来[[そうごう|僧綱]]に任ぜられるのが例であった。また[[とくし|読師]]には薬師寺僧の練行の者をあて、[[ちょうじゅ|聴衆]]には諸寺の学匠を請じてあてた。<br><br> |
− | # | + | # '''円宗寺最勝会'''。毎年2月19日より5日間、のちに5月19日より5日間行われ、1082年(永保2)創始。<br>円宗寺[[ほっけえ|法華会]]、[[ほうしょうじ|法勝寺]][[だいじょうえ|大乗会]]と共に「北京三会(ほっきょうさんね)」または「天台三会」と称され、南都三会に準ずる扱いを受けたが、講師は天台僧がなる例であった。 |
2006年5月22日 (月) 08:42時点における版
最勝会
金光明最勝王経(金光明経(こんこうみようきよう))を講讃し、国家安穏・天皇息災を祈る法会。日本で著名なのは以下の三つ。
- 宮中最勝会。御斎会ともいい、毎年正月8-14日まで大極殿(後に清涼殿)で行われ、天皇御前での内論議を伴う。768年(神護景雲2)に創始、宮廷年中行事第一の大事といわれた。
- 薬師寺最勝会。毎年3月7-13日まで講経と論議を行う。830年(天長7)(829年とも)創始。
興福寺維摩会、1の御斎会と共に「南都三会(なんとさんね)」または「南京三会(なんきようさんね)」と呼ばれ、講師にはこの二会講師歴任者を任じ、三会講師を勤め終えた者は已講と呼ばれて将来僧綱に任ぜられるのが例であった。また読師には薬師寺僧の練行の者をあて、聴衆には諸寺の学匠を請じてあてた。 - 円宗寺最勝会。毎年2月19日より5日間、のちに5月19日より5日間行われ、1082年(永保2)創始。
円宗寺法華会、法勝寺大乗会と共に「北京三会(ほっきょうさんね)」または「天台三会」と称され、南都三会に準ずる扱いを受けたが、講師は天台僧がなる例であった。