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「そく」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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 中国仏教においてはさかんに「即」の語が用いられ、「[[そくぜ|即是]]」や「[[そうそく|相即]]」その他の語もある。特に[[てんだいしゅう|天台系]]の思想は、この「即」を種々に説き、縦横に応用して、いっさいの平等を強調した。
 
 中国仏教においてはさかんに「即」の語が用いられ、「[[そくぜ|即是]]」や「[[そうそく|相即]]」その他の語もある。特に[[てんだいしゅう|天台系]]の思想は、この「即」を種々に説き、縦横に応用して、いっさいの平等を強調した。
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 対象に触れて認識することのできる、感触のみの状態をいう。まだ、思考の入っていない段階。

2007年10月16日 (火) 01:27時点における版

 維摩経(入不二法門品)に

色は即(そく)是空…是(こ)れを不二の法門に入ると為す

とあり、摩訶止観(1上)に

煩悩は即(そく)般若、結業は即解脱

とあるように、二つのもの・ことが、論理的な面において密着して一つ(不二(ふに))となり、時間的な面においては直ちに結合して連続することをいう。いずれにせよ、たがいに異なる(もしくは異なると考えられている)もの・ことが、その間の相異性をある意味では残しつつ、一体化するという理論は、仏教の縁起説に特有のきわめて自由で伸縮自在な関係性に基づく。

 ただしときには、元来は同一であるもの・ことを別異と見まがい、本来の同一性を回復することもいう。

 中国仏教においてはさかんに「即」の語が用いられ、「即是」や「相即」その他の語もある。特に天台系の思想は、この「即」を種々に説き、縦横に応用して、いっさいの平等を強調した。


 対象に触れて認識することのできる、感触のみの状態をいう。まだ、思考の入っていない段階。