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'''窺基'''(きき)とも呼ばれる。(chinese) Kui ji、[[632年]]-[[682年]]。
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中国、唐代初期の僧。'''慈恩大師'''(じおんだいし)、または大乗基(だいじょうき)とも呼ばれる。本人は「基」と称している。[[ちょうあん|長安]]で生まれたが、先祖は中央アジアの出身で、姓は尉遅、字は供道。<br>
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[[げんじょう|玄奘]]について、その『[[じょうゆいしきろん|成唯識論]]』の翻訳に参加、[[ほっそうしゅう|法相宗]]の開山となる。この論書に二つの註釈(『述記』『枢要』)をつくり、[[しんだい|真諦]]訳に代表される古い[[ゆいしき|唯識]]説を批判し、新しい法相唯識の立場を宣揚した。高宗の勅によって、長安の大慈恩寺に住した。
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====三車法師====
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出家のはじめ、師の玄奘に誓って、女色と飲酒を断たぬことを条件とし、その出遊には、生涯酒と女と経典をのせる三車を連ねたことから、'''三車法師'''と呼ばれた。
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====慈恩大師像====
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日本の法相宗の本山[[やくしじ|薬師寺]]、[[こうふくじ|興福寺]]では忌日に慈恩会(じおんえ)を催している。両寺に遺る『慈恩大師像』は11世紀の作で平安時代の肖像画として貴重である。
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====主な著書====
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* 唯識述記(20巻)
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* 成唯識論枢要(4巻)
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* [[だいじょうほうおんぎりんじょう|大乗法苑義林章]](7巻)
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* 瑜伽論略纂(16巻)

2008年12月26日 (金) 11:54時点における版

窺基(きき)とも呼ばれる。(chinese) Kui ji、632年-682年

中国、唐代初期の僧。慈恩大師(じおんだいし)、または大乗基(だいじょうき)とも呼ばれる。本人は「基」と称している。長安で生まれたが、先祖は中央アジアの出身で、姓は尉遅、字は供道。
玄奘について、その『成唯識論』の翻訳に参加、法相宗の開山となる。この論書に二つの註釈(『述記』『枢要』)をつくり、真諦訳に代表される古い唯識説を批判し、新しい法相唯識の立場を宣揚した。高宗の勅によって、長安の大慈恩寺に住した。

三車法師

出家のはじめ、師の玄奘に誓って、女色と飲酒を断たぬことを条件とし、その出遊には、生涯酒と女と経典をのせる三車を連ねたことから、三車法師と呼ばれた。

慈恩大師像

日本の法相宗の本山薬師寺興福寺では忌日に慈恩会(じおんえ)を催している。両寺に遺る『慈恩大師像』は11世紀の作で平安時代の肖像画として貴重である。

主な著書