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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(安世高)
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(chinese) An Shi-gao。[[170年]]頃没
 
(chinese) An Shi-gao。[[170年]]頃没
  
中国に来た最初期の訳経者。安息国の太子であったが、王位を叔父に譲って出家し、アビダルマおよび禅経に非常に深い学識をもっていたといわれる。<br>
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中国に来た最初期の訳経者。[[あんそっこく|安息国]]の太子であったが、王位を叔父に譲って出家し、アビダルマおよび禅経に非常に深い学識をもっていたといわれる。<br>
 
[[148年]](建和2)頃洛陽に来て,のち約20年間にわたり三十余部の経典類の翻訳に従事した。安息国では、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]が盛んであったためか、禅観、[[あごんきょう|阿含]]、[[あびどん|阿毘曇]]学に通じていた。
 
[[148年]](建和2)頃洛陽に来て,のち約20年間にわたり三十余部の経典類の翻訳に従事した。安息国では、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]が盛んであったためか、禅観、[[あごんきょう|阿含]]、[[あびどん|阿毘曇]]学に通じていた。
  

2010年7月16日 (金) 12:53時点における版

安世高

(chinese) An Shi-gao。170年頃没

中国に来た最初期の訳経者。安息国の太子であったが、王位を叔父に譲って出家し、アビダルマおよび禅経に非常に深い学識をもっていたといわれる。
148年(建和2)頃洛陽に来て,のち約20年間にわたり三十余部の経典類の翻訳に従事した。安息国では、説一切有部が盛んであったためか、禅観、阿含阿毘曇学に通じていた。

訳出経典

禅観関係

  • 安般守意経 大正 vol.15 p.163
  • 陰持入経 大正 vol.15 p.173
  • 禅行法想経 大正 vol.15 p.181
  • 大道地経 大正 vol.15 p.230

阿含関係

  • 人本欲生経 大正 vol.1 p.241
  • 十報経 大正 vol.1 p.233
  • 普法義経 大正 vol.1 p.922
  • 四諦経 したいぎょう 大正 vol.1 p.814
  • 七処三観経 大正 vol.2 p.875
  • 八正道経 はっしょうどうきょう 大正 vol.2 p.504
  • 転法輪経 てんぼうりんぎょう 大正 vol.2 p.503

阿毘曇関係

  • 阿毘曇五法経 大正 vol.28 p.998
  • 阿毘曇九十八結経