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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
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通俗的には、愚かで知恵のないことをいう。 | 通俗的には、愚かで知恵のないことをいう。 | ||
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− | また現在では「愚痴」と書き、「愚痴をこぼす」のように、言っても仕方のないことを言って嘆く意にも用いられる。 | + | : また現在では「愚痴」と書き、「愚痴をこぼす」のように、言っても仕方のないことを言って嘆く意にも用いられる。 |
2017年5月9日 (火) 11:47時点における版
愚癡
moha,mūḍha (S)
漢語の本来の意味は、愚かでものの道理を解さないこと。『論衡』(論死)など、仏伝以前に用例がある。
仏教用語の「愚癡」は「無明」と同じで、仏教の教えを知らず、道理やものごとを如実に知見することができないことをいう。
単に「癡」ともいう。
煩悩の中でももっとも基本的なもので、三毒や六根本煩悩の一つに数えられる。
通俗的には、愚かで知恵のないことをいう。
ゐなかのひとびとの文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりなきゆゑに、やすくこころえさせんとて、おなじことをとりかへしとりかへし書きつけたり。こころあらんひとは、をかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、ひとのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるひとびとを、こころえやすからんとてしるせるなり。 〔一念多念文意 p.694〕
- また現在では「愚痴」と書き、「愚痴をこぼす」のように、言っても仕方のないことを言って嘆く意にも用いられる。