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奈良県橿原市久米町。真言宗御室派。来目寺とも書き、霊禅山東塔院と号する。 | 奈良県橿原市久米町。真言宗御室派。来目寺とも書き、霊禅山東塔院と号する。 | ||
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現在の堂宇は万治年間の造営であるが、多宝塔(重文)は万治2年京都仁和寺から移建したものである。 | 現在の堂宇は万治年間の造営であるが、多宝塔(重文)は万治2年京都仁和寺から移建したものである。 |
2017年6月30日 (金) 11:22時点における最新版
久米寺
奈良県橿原市久米町。真言宗御室派。来目寺とも書き、霊禅山東塔院と号する。
来目王子(聖徳太子の弟)の草創とも、久米仙人の創建とも伝える。空海の益田池碑銘並序(天長2,825撰)に「来眼精舎」が益田池の東北にあると記す。
善無畏三蔵が来朝してこの地に多宝塔を建て、後に空海が塔下から『大日経』を得たという伝説は有名である。
現在の堂宇は万治年間の造営であるが、多宝塔(重文)は万治2年京都仁和寺から移建したものである。