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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(種子)
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(skt.) biija
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<big>bīja</big> (S)
 
:「種子」は、唯識法相宗では「しゅうじ」と読み、密教では「[[しゅじ]]」と読む。
 
:「種子」は、唯識法相宗では「しゅうじ」と読み、密教では「[[しゅじ]]」と読む。
  
種子とはサンスクリットの「ビージャ」(biija)であり、植物の種子のように、いろいろの現象を起こさせる可能性であり、可能力である。それは、もともと、ある現象が影響して自らに習慣的な刺激によって植えつけた印象であるところから熏習の気分という点で'''習気'''(じっけ)というのである。このように種子を熏習し、その種子が因となって種々の現象が顕現(あらわれる)するのであるという点を明らかにしたのが種子熏習説である。<br>
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種子とはサンスクリットの「ビージャ」(bīīja)であり、植物の種子のように、いろいろの現象を起こさせる可能性であり、可能力である。それは、もともと、ある現象が影響して自らに習慣的な刺激によって植えつけた印象であるところから熏習の気分という点で'''習気'''(じっけ)というのである。このように種子を熏習し、その種子が因となって種々の現象が顕現(あらわれる)するのであるという点を明らかにしたのが種子熏習説である。<br>
 
このような種子熏習説を述べる人々には、[[ぶはぶっきょう|部派仏教]]の中、[[たいしゅぶ|大衆部]]、[[けじぶ|化地部]]、[[きょうりょうぶ|経量部]]などがあるが、これらをうけてほんとうに学問的な基準をもって説いたのが、[[ゆいしき|唯識]]学派[[ほっそうしゅう|法相宗]]である。
 
このような種子熏習説を述べる人々には、[[ぶはぶっきょう|部派仏教]]の中、[[たいしゅぶ|大衆部]]、[[けじぶ|化地部]]、[[きょうりょうぶ|経量部]]などがあるが、これらをうけてほんとうに学問的な基準をもって説いたのが、[[ゆいしき|唯識]]学派[[ほっそうしゅう|法相宗]]である。
  

2018年6月16日 (土) 11:03時点における版

種子

bīja (S)

「種子」は、唯識法相宗では「しゅうじ」と読み、密教では「しゅじ」と読む。

種子とはサンスクリットの「ビージャ」(bīīja)であり、植物の種子のように、いろいろの現象を起こさせる可能性であり、可能力である。それは、もともと、ある現象が影響して自らに習慣的な刺激によって植えつけた印象であるところから熏習の気分という点で習気(じっけ)というのである。このように種子を熏習し、その種子が因となって種々の現象が顕現(あらわれる)するのであるという点を明らかにしたのが種子熏習説である。
このような種子熏習説を述べる人々には、部派仏教の中、大衆部化地部経量部などがあるが、これらをうけてほんとうに学問的な基準をもって説いたのが、唯識学派法相宗である。

本有種子・新熏種子

一切の現実は、種子から現象が顕現(種子生現行(しゅうじしょうげんぎょう))し、その顕現した現象が種子をまた熏習(現行熏種子(げんぎょうくんしゅうじ))するという繰り返しの中に成立する。このような立場で、迷悟の問題を考える時、迷界から俗界へという立場では、一度も俗界が顕現したことはないから、そのような悟りの種子はない。
その点で、本来的にそのような悟りの種子がなければならないというので、それに先天的にあるという意味の本有(ほんぬ)の種子を説く、その本有種子に対して、いろいろな現象によって常に印象づけられ、植えつけられたものを新熏種子とよぶのである。

名言種子・業種子

この種子には悟りの種子も迷いの種子もあり、これを無漏種子、有漏種子とわける。 実際に現象の原因となるものと、それを条件づけるものとに分けて名言種子(みょうごんしゅうじ)、業種子(ごっしゅうじ)などともよんでいる。

種子の条件

種子については条件があり、これを種子の六義という。すなわち①刹那滅 ②果倶有 ③恒随転 ④性決定 ⑤待衆縁 ⑥引自乗の六である。

  1. 生滅変化するものであること
  2. 生起した結果と同時に離れずに存在すること
  3. 必ず一類相続して、前後に転易があってはならない
  4. 種子とその種子が現行したものとは、性において決定して変わらないものでなければならないこと、たとえば善の種子から悪の結果が出るというようなことがあってはならないからである
  5. 種子の一因のみで現象を生起するというのでなく、必ず多くの縁をもって現象を生起するものであること
  6. 物質と精神とについて、それぞれ別々に自因自果でなければならない

以上の六種の条件を具備するものが種子の名にあたいするものであるという。