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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(不相応行)
(不相応行)
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 [[ごい|五位]]の中の一つ。詳しくは、「心不相応行」「色不相応行」「非色非心不相応行」といい、存在(色)でも心でもない存在をいう。<br>
 
 [[ごい|五位]]の中の一つ。詳しくは、「心不相応行」「色不相応行」「非色非心不相応行」といい、存在(色)でも心でもない存在をいう。<br>
 
 現代的なモノの見方でいえば、存在するものは物質存在か心による認識かいずれかであるが、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]と[[ゆいしき|唯識]]では、それら二つのものの何れでもないが、両者に関係する状態や性質を一つの存在(法)であるとみなして、これを'''不相応行'''と呼ぶ。物と心とを種々の方式に従って活動させる原理をいう。<br>
 
 現代的なモノの見方でいえば、存在するものは物質存在か心による認識かいずれかであるが、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]と[[ゆいしき|唯識]]では、それら二つのものの何れでもないが、両者に関係する状態や性質を一つの存在(法)であるとみなして、これを'''不相応行'''と呼ぶ。物と心とを種々の方式に従って活動させる原理をいう。<br>
 但し、この存在性に関しては、〈説一切有部〉は、それは物質や心とおなじ程度の存在性をもつもの、つまり'''実有の法'''であるとみなし、〈唯識〉は、それは心の働きの上に仮に立てられるもの、つまり'''仮有の法'''であると主張する。
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 但し、この存在性に関しては、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]は、それは物質や心とおなじ程度の存在性をもつもの、つまり'''実有の法'''であるとみなし、[[ゆいしき|唯識]]は、それは心の働きの上に仮に立てられるもの、つまり'''仮有の法'''であると主張する。
  
 その内容は、〈説一切有部〉と〈唯識〉、また諸論によって異なる。
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 その内容は、説一切有部と唯識、また諸論によって異なる。
  
 
===説一切有部===
 
===説一切有部===

2018年7月21日 (土) 17:32時点における版

不相応行

viprayukta-saṃskāra; viprayuktaḥ saṃskāraḥ (S)

 五位の中の一つ。詳しくは、「心不相応行」「色不相応行」「非色非心不相応行」といい、存在(色)でも心でもない存在をいう。
 現代的なモノの見方でいえば、存在するものは物質存在か心による認識かいずれかであるが、説一切有部唯識では、それら二つのものの何れでもないが、両者に関係する状態や性質を一つの存在(法)であるとみなして、これを不相応行と呼ぶ。物と心とを種々の方式に従って活動させる原理をいう。
 但し、この存在性に関しては、説一切有部は、それは物質や心とおなじ程度の存在性をもつもの、つまり実有の法であるとみなし、唯識は、それは心の働きの上に仮に立てられるもの、つまり仮有の法であると主張する。

 その内容は、説一切有部と唯識、また諸論によって異なる。

説一切有部

 得・非得・衆同分・無想定・夢想果・滅尽定・命根・生・老・住・滅・名身・文身の14が説かれる。

唯識

 得・命根・衆同分・異生性・無想定・滅尽定・無想報・名身・句身・文身・生・老・住・無常・流転・定異・相応・勢速・次第・方・時・数・和合性・不和合性の24が定説となっている。    〔『瑜伽師地論』〕〔『百法明門論』〕