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− | 訳経家。北魏正始5年(508) 洛陽に至り[[ぼだいるし|菩提流支]]と共に『[[じゅうじきょうろん|十地経論]]』12巻などを訳した。[[じろんしゅう|地論宗]] | + | 訳経家。北魏正始5年(508) 洛陽に至り[[ぼだいるし|菩提流支]]と共に『[[じゅうじきょうろん|十地経論]]』12巻などを訳した。[[じろんしゅう|地論宗]]の相州南道派の祖となる。続けて、『妙法蓮華経優婆提舎』1巻等を翻訳した。後、『[[くきょういちじょうほうしょうろん|究竟一乗宝性論]]』4巻を訳した。 |
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+ | 『歴代三宝記』第9に、菩提流支伝に、『十地経論』を訳出する時に菩提流支と意見が合わず、のちに[[えこう|慧光]]が相州の南部に在って勒那摩提の考えを伝えたので相州南道派といい、菩提流支の弟子、[[どうちょう|道寵]]によって北道派と対峙したと言われている。 |
2019年11月15日 (金) 13:35時点における最新版
勒那摩提
5-6世紀の人。Ratnamati ラトナマティ(S)の音写。「宝意」と訳す。
訳経家。北魏正始5年(508) 洛陽に至り菩提流支と共に『十地経論』12巻などを訳した。地論宗の相州南道派の祖となる。続けて、『妙法蓮華経優婆提舎』1巻等を翻訳した。後、『究竟一乗宝性論』4巻を訳した。
『歴代三宝記』第9に、菩提流支伝に、『十地経論』を訳出する時に菩提流支と意見が合わず、のちに慧光が相州の南部に在って勒那摩提の考えを伝えたので相州南道派といい、菩提流支の弟子、道寵によって北道派と対峙したと言われている。