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くぎょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2021年8月17日 (火) 08:31時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (苦行)

苦行

tapas तपस्,duṣkara-caryā दुष्करचर्या (S)

 古くからインドは「苦行の故地」と称せられ、紀元前4世紀インドに侵入したアレキサンダー大帝以下のギリシア人も苦行者を見、7世紀入竺した玄奘も彼らの行法を目撃し、15世紀以降インドを訪れた初期の西洋人も奇異の眼をもってインドの苦行者のことを報告している。沈黙の戒・禁欲・断食など、肉体的欲望を抑える修行・苦行の類は多かれ少なかれあらゆる宗教のすすめるところであるが、インドの苦行はとりわけ際立っているように思われる。原始仏教興起時代にも沙門の名の下に世俗を捨てた行者の群が言及され、もまた成道前に苦行に身を挺したと伝えられる。インドの法典や宗教文献も苦行者を分類して4種とも6種ともしている。

 もと難行・苦行とは人間自然の欲望を抑えて精神力を鍛えることを目的としていた。饒舌を抑えては沈黙の戒となり、食欲を抑えては断食、性欲を抑えては禁欲となる道理である。人はこれらに耐えて精神力を涵養(かんよう)するが、更により積極的・人為的に肉体を苦しめることを奨めた。かくて酷熱の太陽の下で四方に火を置いて暑さに耐え、また冬に水に籠って寒さに耐え、腕を挙げ、一足にて立ち、蹲踞(そんきょ)の姿勢を保つなど、長期間同一姿態を保つ「荒行(あらぎょう)」へと発展し、これらの身体的苦痛に耐える間に強度の神秘力・神通力を己れの内に蓄積すると信じられていた。

 苦行の結果、身につく神秘力・神通力の中には、過去と未来を知る能力、前世を知る能力、他人の心の中を知る読心術、千里眼、水上歩行などが数えられ、苦行者の超能力は神々をも畏怖せしめたとして各種の神話・伝説・物語が伝えられている。ただし仏教ではこれら神通力は行者の修行の間にたまたま現れて来る副次的なものとされ、それを誇示したり、濫用したりすることは厳に戒められ、それは瑜伽学派にも一貫した姿勢であった。
 古典サンスクリット文学にあって、行者が苦行によって得た神秘力は、怒って他人を呪うこと、および愛欲に迷って女性と交わること、によって完全に消滅するものと考えられていた。同時にそれは苦行者の呪詛(じゅそ)の必中性を保証し、行者の胤として女性に宿った子孫の非凡性を約束していた。いずれも苦行の熱力の外的顕現と考えられていた故である。

恭敬