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さんむろこん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2021年8月3日 (火) 14:43時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (三無漏根)

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三無漏根

 三根とも呼ばれる。見道・修道・無学道の三道の無漏智をいう。

1.未知当知根(Anājñātamājñāsyāmīndriya)

 見道にあっては無漏智が無始より以来いまだかつて知らなかった苦集滅道の四諦に向ってここよりまさに彼を知らんとして行動するものであるから、その無漏智を未知当知根と名く。見道にあっては苦法智忍より道類智忍に至る十五心のこと、この十五心において上下二界の四諦の境を観ずる間は、何れも無漏智がいまだかつて知らない境界をこれより当に知らんとして運転し始めるのである。さてこの未知当知根は無漏の慧根を主とするのだが、同時相応の心心所法について最も勝能あるものをあい従わせ、善根と、喜楽捨の三受根と、信等の五根と、都合九根を体とする。

2.已知根(Ājñendriya)

 これは修道の無漏智である。修道にあっては上下の四諦においていまだかつて知らずと云ふものなく、いずれも已に知りおわるのだが、ただ修惑を断ぜんがために数々四諦の境を観ずるにとどまれば、これを已知根と名ける。その九根を体とすると、上の未知根と同じである。

3.具知根(Ājñātāvĩndriya)

 これは無學根の無漏智である。尽智無生智のこと。無学の聖者は、尽智あるいは無生智を起すからこれ已に四諦の理を知ると知られる。この自知心を有するを具知と名ける。この具知はまた九根をあわせるから上のようである。已上は新訳の名である。旧訳だと未知欲知根、知根、知巳根と呼ばれている。〔倶舎論2、智度論23〕