くうかん
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空間
原始仏教以来、仏教では存在の櫛成要素として地・水・火・風・空・識の六大を考えていた。このうち、地・水・火・風の四大が存在を生み出す働きを持つのに対し、空大はそれらの存在物が存在する場所としての要素であった。地・水・火・風・空の五大によって初めて存在物は存在することを得たわけであるが、この五大は総称して色上(rūpa)と呼ばれた。この色には、古来変壊・質礙の義あり、といわれている。変壊とは絶えず変化して一瞬も常恒でないことであり、質礙とは物質が同時に同じ処を占有できないことをいう。このような空間概念は根本的には今日の概念とそれほど異なったものではない。しかし、大乗仏教になると独得の空間概念が構成され、華厳経には、
- 肢節の一々の毛孔の中に皆不可説不可説の仏の刹海あり
という。また維摩経には、維摩の狭い病室に三万二千の師子座が設けられる光景を描き、
- もし菩薩この解脱に住すれば、須弥の高広を以て芥子の中に内るるに増減するところなし。……四大海水を以て一毛孔に入るるに,魚・龞・黿・鼈・水性の属を嬈まさず
という。このような空間の観念は、不可思議解脱を得た菩薩には可能であるというのである。これは、有(asti)と[む|無]](nāsti)の二元を超えることによって人間に霊的な眼がひらけ、その眼にこのような空間が見られるのである。この空間が華厳の法界である。この法界は、機械的因果法則や、目的論的生物的因果の法則、静的相互関連の法則などの支配している形相と現象の世界ではない。このような空間が、空・不生・無自性などと呼ばれたのである。