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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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第1章 第一節 懇請

 わたしはこのように聞いた。あるとき尊師は、ウルヴェーラーで、ネーランジヤラー河の岸辺で、アジャパーラという名のバニヤンの樹の根もとにとどまっておられた。初めてさとりを開かれたばかりのときであった。
 そのとき尊師は、ひとり隠れて、静かに瞑想に耽っておられたか、心のうちにこのような考えが起こった。
 「わたしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。さて執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている人々には、〈これを条件としてかれがあるということ〉すなわち縁起という道理は見がたい。またすべての形成作用のしずまること、すべての執著を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、やすらぎ(ニルヴァーナ)というこの道理もまた見がたい。だからわたしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他の人々かわたしのいうことを理解してくれなければ、わたしには疲労が残るだけだ。わたしには憂慮があるだけだ」と。
 実に次の、未だかつて聞かれたことのない、すばらしい詩句か尊師の心に思い浮んだ。
 「苦労してわたしかさとりを得たことを
  今説く必要かあろうか。
  貪りと憎しみにとりつかれた人々が、
  この真理をさとることは容易ではない。
  これは世の流れに逆らい、微妙であり、
  深遠で見がたく、微細であるから、
  欲を貪り暗黒に覆われた人々は見ることかできないのだ」と。
 尊師がこのように省察しておられるときに、何もしたくないという気持に心が傾いて、説法しようとは思われなかった。
 そのとき世界の主である梵天は尊師の心の中の思いを心によって知って、次のように考えた。「ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する。実に修行を完成した人、尊敬さるべき人、正しくさとった人の心が、何もしたくないという気持に傾いて、説法しようとは思われないのだ! 」
 ときに世界の主である梵天は、譬えば力ある男が曲げた臂をのばし、のばした臂を曲げるように、梵天界から姿を消して、世尊の前に現われた。
 そのとき世界の主である梵天は上衣を一つの肩にかけて、右の膝を地に着け、尊師に向って合掌・敬礼して、世尊にこのようにいった。「尊い方! 尊師は教え(真理)をお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが、〔聞けば〕真理をさとる者となりましよう」と。  世界の主である梵天はこのように述べ、このようにいいおわってから、次のことを説いた。
  「汚れのある者どもの考えた不浄な教えがかつてマガダ国に出現した。
  願わくはこの不死の門を開け。
  無垢なる者の覚った法を聞け。
  譬えば、山の頂にある岩の上に立っている人があまねく四方の人々を見下すように、あらゆる方向を見る眼ある方は、真理の高閣に登って、〔自らは〕憂いを超えていながら〈生まれと老いとに襲われ、憂いに悩まされている人々〉を見そなわせたまえ。
  〔起て、健き人よ、戦勝者よ、
  隊商の主よ、負債なき人よ、世間を歩みたまえ。
  世尊よ、真理を説きたまえ。
  真理をさとる者もいるであろう。〕」
 そのとき尊師は梵天の懇請を知り、生きとし生ける者へのあわれみによって、さとった人の眼によって世の中を観察された。
 尊師はさとった人の眼によって世の中を見そなわして、世の中には、汚れの少ない者ども、汚れの多い者ども、精神的素質の鋭利な者ども、精神的素質の弱くて鈍い者ども、美しいすがたの者ども、醜いすがたの者ども、教えやすい者ども、教えにくい者どもがいて、ある人々は来世と罪過への怖れを知って暮らしていることを見られた。
 譬えば、青蓮の池・赤蓮の池・白蓮の池において、若干の青蓮・赤蓮・白蓮は水中に生じ、水中に成長し、水面に生ず、水中に沈んで繁茂するし、また若干の青蓮・赤蓮・白蓮は水中に生じ、水中に成長し、水面に達するし、また若干の青蓮・赤蓮・白蓮は、水中に出ず、水中に成長し、水面から上に出て立ち、水に汚されない。
 まさにそのように、尊師はさとった人の眼をもって世の中を見そなわして、世の中には、汚れの少ない者ども、汚れの多い者ども、精神的素質の鋭利な者ども、精神的素質の弱くて鈍い者ども、美しいすがたの者ども、醜いすがたの者ども、教えやすい者ども、教えにくい者どもがいて、ある人々は来世と罪過への怖れを知って暮らしていることを見られた。
 見終わってから、世界の主である梵天に詩句をもって呼びかけられた。
  「耳ある者ともに甘露(不死)の門は開かれた。
  〔おのが〕信仰を捨てよ。
  梵天よ。人々を害するであろうかと思って、
  わたしはいみじくも絶妙なる真理を人々には説かなかったのだ」。
 そこで世界の主である梵天は、「わたしは世尊が教えを説かれるための機会をつくることができた」と考えて、尊師に敬礼して、右廻りして、その場で姿を消した。