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はっそうじょうどう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2023年11月15日 (水) 15:24時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (八、入涅槃)

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八相成道

 釈尊の成道作仏ということに関連して、その主な契機と考えられるものを八種の相として示したものである。
 ことに、八相の中心は成道にあるから「八相成道」とも、「八相作仏」ともいう。また、釈尊の成仏なので「釈迦八相」ともいう。
 さて、八相の選び方、解釈という点で、異説がある。しかし、八相の示し方には古来2種 の系統があるといわれている。即ち、『天台四教儀集註』に「四教儀」の意をうけて「従兜率天下」「託胎」「出生」「出家」「降魔」「成道」「転法輪」「入涅槃」を示すものと、『大乗起信論』の「従兜率天退」「入胎」「住胎」「出胎」「出家」「成道」「転法輪」「入於涅槃」とである。しかも、前記『集註』には前者を小乗の八相、後者を大乗の八相といって、前者に住胎がないのは、小乗教は住ということを説かない無常論を立場とするからであるといい、後者に降魔がないのは大乗ではは即ち法界了解するからであるという。
 しかし、ことさら、このように説明するのは、こじつけのようであり、開合の相違によるという解釈が妥当であろう。大乗、小乗でこのように区別することは、根拠のあることではない。たとえば降魔ということを大乗で説かないとはいえないので『華厳経』には降魔を説いている例がある。
 いま、次に八相について『四教儀』の註釈を主として説明するならば

一、従兜率天下

 最後身の菩薩が人間として生まれる前の生は兜率天にあるという考えから、ついに成仏の果をあらわすために人界に生まれることを下生というのである。『四教儀』には、この下生に際して菩薩(=釈尊)は四種の観察を実行したという。

  1. . 下生には適当な時代社会が考えられねばならないから、時代を観じて、人寿百歳の時代こそ仏出世の時であると知られたという。
  2. . 下生の場所が適当でなければならないから、その生まれる土地を観じて、世界の中心であるカピラバスツが適当であることを知られた。
  3. . インドのような当時カースト制度の厳格なところでは、その生まれる種族如何によって、折角の法も拡がらないからというので、種族を観じてバラモンとクシャトリャの二種族が適当とみられた。それはバラモンは智慧の点で勝れているし、クシャトリャは勢力の点で勝れているからである。そこで釈尊はクシャトリャの勢力の勝れたところに生まれて法を拡げようと試みられたという。
  4. . それでは時代も土地も種族もきまったが、一体、具体的には誰の胎内に宿るべきであろうか。それは最後身の菩薩を懐胎するにふさわしい清浄で立派な人でなければならないというので、浄飯王の妃が適当であると観じられたという。このような観察の後下生されたと。

二、託胎

 白象となってマヤ夫人の胎に宿ることをいうのである。それについて、それは正慧入胎を 示すといっている。即ち、入胎の模様も、胎中における生長についても自ら記憶し、億念して忘失しない状態の中で胎内生長されたことをいうのである。

三、出生

 十ヵ月の月満ちて出生することをいうのである。四月八日であり、ルンビニ園でマャ夫人 の右脇から生まれ、「天上天下唯我為尊」と宣言され、やがて、アシタ仙の観相があり、そこでいわれるように釈尊は生まれながらにして転輪聖王の三十二相を備えていたなどと説いて出生の様子を述べている。

四、出家

 やがて釈尊は生長し幸福な生活を送られるが、四門より出て老病死などを自らに実感し、無常を観じて、その苦を克服するために王宮を出離し、6年の苦行を実修されることをいう。

五、降魔

 六年の苦行の後、菩提樹下で観想中の釈尊に対して悪魔が働きかけたが、釈尊の意志の堅 固さに凡て退散せしめられることをいうので、それは人間の心の中にある悪への誘惑と生への執着が如何に熾烈であるかということを示している。古く、これらの魔に十を述べ、悪魔の十軍などとよばれてきた。それは①貪欲 ②不楽 ③飢渇 ④渇愛 ⑤惛沈 ⑥怖畏 ⑦疑 ⑧自傲 ⑨名聞利養 ⑩自讃毀他である。

六、成道

 12月8日に悟りを開いて成仏したことをいう。

七、転法輪

 初めて苦行の5人の仲間に自らの悟りを話し教化される。これに三段がある。

  1. . 5人の苦行の仲間への教化
  2. . 四諦十二因縁六波羅蜜など三乗教を説かれ、成道後12年目に初めて戒律を制定する
  3. . 五怖五悪五怨等を説かれ、経律論が整う。

八、入涅槃

 80歳で五十年間の説法をおえてクシナーラの沙羅双樹の間で第四禅中において火光三[[ 昧に入り、焼身減度され、舎利を後に留め、人天のために福田となられ無余涅槃に入られたと説いている。

 以上は大体、『四教儀集註』の説明にしたがって八相を述べたので、それは古来の仏伝によっている。したがって今日の歴史研究の成果による釈尊の生涯の事歴をのべたものとは異なっているが、成道作仏という立場をふまえての釈尊一生涯における重要な出来事を八種の場面でとりあげたのが八相成道である。

 ところで、このような八相とは別に、やはり釈尊成道の重要な場面をえらびだしたものに浄影寺の慧遠の十相、吉蔵(嘉祥大師)の八相などもある。
 浄影の十相とは①昇兜率天 ②来下入胎 ③住胎中 ④出生 ⑤童子相 ⑥嫂妻相 ⑦出家相 ⑧成仏道相 ⑨転法輪相 ⑩涅槃相であり、嘉祥の八相は①処天宮 ②入胎 ③現生 ④出家 ⑤降魔 ⑥成道 ⑦転法輪 ⑧入滅などである。
 このように種々の説があるが、恐らくインドの仏典では、このような体系的なものは見出せないから、その体系化は中国において組象立てられたものであり、これによって釈尊の一生涯の事歴を体系的に説明しようとしたものであろう。