しゅ
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
目次
主
nāyaka; dātṛ (S);
主人。行為主体。導く人。〔倶舎論8〕
施主のこと。施す人。有主=施主のある(sasāmika(P))〔五分戒本、T22-195b〕
客に対する主人。自分自身。
人びとが本来具えている仏性。〔景徳伝燈録5、T51-245a〕
よるべ。〔往生要集28〕
禅門では修行者を導く師家、または仏道に徹しきった高僧。
- 主は主当の義で、主当とはつかさどること。〔香月1390〕
守
- ārakkha (P)、守護。〔本欲生経〕
- 摂に同じ。〔一切流摂守因経〕
- 数えること。〔天台四教義註 中〕
取
udgṛhīta
認識すること。知覚すること。
想は像を取るを体と為す。 所縁の相を取る。 阿頼耶識が所縁の境を取る行相は知り難し。 菩薩は能く深く法無我智に入るに由って、一切法に於て唯だ其の事を取り、唯だ真如を取る。
ādāna
手でものを取るという動作。眼の対象の一つ。身体の動きの一つ。→色境
表色とは取・捨・屈・伸・行・住・坐・臥などを謂う。
奪うこと。取ること。
与えないものを取る。
upādāna
煩悩の異名としての取。広くは、すべての煩悩をいうが、欲貪(欲し貪るこころ kāman-rāga)であると定義されることが多い。
十二縁起のなかの第9番目の契機としての取もこの意味での取をいう。
ただし、『倶舎論』の三世両重因果説によれば、歳を重ねて広くさまざまな対象を追い求めるようになった段階をいう。
- 為得種種上妙境界、周遍馳求、此位名取。〔『倶舎』9,T29-48c〕
- 取、謂、欲貪。故薄伽梵諸経中釈。云何為取。所謂、欲貪。〔『倶舎』9、T29-51b〕
- 煩悩差別者、多種差別応知。(中略)能取自身相続不絶故、名為取。〔『瑜伽』8,T30-314b〕
- 所言取者、謂、諸欲貪亦名為取。〔『瑜伽』83、T30-765a〕
- 取差別者、謂、無差別欲負名取。〔『瑜伽』93、T30-831b〕
五取蘊の「取」は、われわれの行為の肉体的・精神的活動の中にはすでに煩悩が含まれているという意味である。
十二因縁の取
十二因縁の第9支では、欲望(渇愛)を取って放さないという意味で「取」とされる。これを、
をそれぞれ執着することに分類して、欲取・見取・戒禁取・我語取の四取とする。
首
①代表。〔二菩薩経、T20-662a〕
②主。おもなもの。〔華厳五教章 中〕
③首席。第一座。首座。多くの学人(大衆・衆)中の首席のこと。〔景徳伝燈録5、T51-240a〕
修
修行
bhāveti (P); bhāvayati (S)
修行のこと。修行すること。広くは善を修し、狭くは禅定を修すること。瞑想。もとからあるものを「性」とするのに対し、修行によって成ずることを「修」という。繰り返し心に思って実践して、徳を実現すること。修習ともいう。説一切有部では4種類の修(四修)を認める。cf.修證
〔長阿含経2、T1-12a〕〔有部律破僧事6、T24-127c〕〔集異門論6、T26-392c〕〔倶舎論18〕〔中論24〕〔瑜伽師地論16、T30-363a〕
pratiniṣevaṇa
個々に修行すること。
prayoga
つとめること。努力すること。ā-√rabh (S) 〔百五十讃 81頌〕〔廻諍論、T32-16b〕
修道
修道の略。 〔華厳五教章 下〕
等引善
bhāvanā; avasthā (S)
禅定とともにある善。