操作

しえんしょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2023年12月26日 (火) 15:06時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (サンユッタ・ニカーヤ)

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

此縁性

idappaccayatā (P), idaṃpratyayatā (S)

 此縁性とは、釈迦が説いたとされる仏教縁起説の1つであり、その性質を指す。

概要

 此縁性の出典としてよく持ち出されるのが、パーリ仏典経蔵小部『自説経』(ウダーナ)の冒頭『ウダーナ』1・1-1・3等に表れる、以下の表現である。

此(これ)が有れば彼(かれ)が有り、
 此(これ)が無ければ彼(かれ)が無い。
此(これ)が生ずれば彼(かれ)が生じ、
 此(これ)が滅すれば彼(かれ)が滅す。

 このように、「此」に縁って「彼」が規定され、有無生滅する関係を表しているので、これを此縁性と呼ぶ。

 なお、この idappaccayatā という語は、宇井伯寿博士らによって、「相依性」という不正確な訳語が当てられていた歴史的経緯があることに、注意が必要。今日、相依性とは、大乗仏教中観派に見られる双方向的な関係を指す語となっている。参考:『龍樹』中村元

 この「此」とは煩悩(あるいは、それに無自覚な無明の状態)を指しており、「彼」とはを指す。したがって、上記の命題は、

  1. 「煩悩」(無明)が有れば、「苦」が有り
  2. 「煩悩」(無明)が無ければ、「苦」が無い
  3. 「煩悩」(無明)が生じれば、「苦」が生じ
  4. 「煩悩」(無明)が滅すれば、「苦」が滅す

と言い換えることができる。

サンユッタ・ニカーヤ

1 わたくしはこのように聞いた。あるとき尊師は、ウルヴェーラー村はネーランジャラー河の岸辺で、アジャパーラという名のニグローダ(バニヤン)の樹の根もとに留まっておられた。初めて目覚めた人になられたばかりのときであった。
2 そのとき尊師は、独り隠れて、静かに禅定に専心しておられたが、心のうちにこのような思いが起こった。
3  『わたくしが知ったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執着のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている。さて執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている人々には、これがあるときに(かれが成立する)ということ(此縁性)すなわち縁起という道理は見がたい。またすべての記憶や意志などの心の作用がしずまること、すべての執着を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、(苦である輪廻的な生存の)止滅、安らぎ(涅槃)というこの道理もまた見がたい。だからわたくしが教えを説いたとしても、もしもほかの人々がわたくしのいうことを理解してくれなければ、わたくしには疲労が残るだけだ。わたくしには憂いがあるだけだ』と。
4 じつにつぎの、いまだかって聞かれたことのない、すばらしい詩節が尊師の心に思い浮かんだ。
  『苦労してわたくしが知ったことを、
   今説く必要があろうか。
   貪りと憎しみにとりつかれた人々が、
   この真理を知ることは容易ではない。
   これは世の流れに逆らい、微妙であり、
   深遠で見がたく、微細であるから、
   欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ』と。
5 尊師がこのように省察しておられるときに、何もしたくないという気持ちに心が傾いて、説法しようとは思われなかった」〔中村元訳『ブッダ悪魔との対話サンュッタ・ニカーヤⅡ』岩波文庫、『サガータヴァツガ』6・1・1〕

「十二因縁」「四諦」との関係

 『自説経』(ウダーナ)の出典箇所においても、この此縁性を述べた直後に、それを詳細化・解説する形で、十二因縁が述べられる。

 したがって、此縁性は十二因縁を要約したものであり、十二因縁は此縁性を詳細化したものであることが確認できる。

 またそれゆえに、十二因縁の順観が此縁性の上記3と、逆観が上記4と、それぞれ対応するものであることも確認できる。

 更に、上記の此縁性と十二因の関係性から、四諦との関係性もより明瞭になる。仏教における4つの真理とされる四諦、すなわち、

  • 苦諦:苦という真理
  • 集諦:苦の原因という真理
  • 滅諦:苦の滅という真理
  • 道諦:苦の滅を実現する道という真理

の4つの内、苦諦は此縁性の上記1・3に対応するものであり、煩悩(無明)によって苦が有生することを指し、集諦は十二因縁に詳述されるように、煩悩に端を発する寄り集まった苦の原因の連鎖が存在していることを指し、滅諦とは此縁性の上記4や十二因縁の逆観として表されているように、煩悩を滅すれば苦も滅することができることを指し、道諦とは釈迦自身がそうしたように、その己の中の煩悩とそれに端を発する此縁性、十二因縁の性質を見極め、除去できる実践(八正道など)が存在することを指す。