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だいごじ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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醍醐寺

京都市伏見(ふしみ)区醍醐伽藍(がらん)町にある真言宗醍醐派の総本山。深雪(しんせつ)山または笠取山と号する。本尊は薬師如来。笠取山全山が寺域で、山上を上(かみ)醍醐、麓(ふもと)を下(しも)醍醐といい、上下醍醐に八十余棟の堂塔が配置されている。
 貞観(じょうがん)年間(859~877)理源(りげん)大師聖宝が山上に草庵(そうあん)を建てたのが始まり。続いて准胝(じゅんてい)堂、如意輪(にょいりん)堂が建立された。
 904年(延喜4)山下に釈迦(しゃか)堂、907年(延喜7)山上に薬師堂と五大堂が聖宝に帰依(きえ)した醍醐天皇によって建立され、定額寺となった。
 919年、座主三綱(ざすさんごう)が置かれ、観賢(かんけん)が第1世座主に補任(ぶにん)された。続いて朱雀(すざく)天皇は949年(天暦3)法華三昧(ほっけざんまい)堂を建立し、村上(むらかみ)天皇は醍醐天皇追福のため952年(天暦6)五重塔を建立するなど寺運隆盛に向かい、その後の諸天皇も当寺に帰依し、大伽藍の完成をみるに至った。
 永久(えいきゅう)年間(1113~18)第14世勝覚のとき三宝院(さんぼういん)が建立され、ついで理性(りしょう)・金剛王(こんごうおう)・無量寿(むりょうじゅ)・報恩(ほうおん)の四院も建ち、醍醐五門跡と称された。
 1470年(文明2)兵火によって五重塔を残しことごとく焼失したが、時の座主義演(ぎえん)が豊臣秀吉の帰依を受けて再興。
 1598年(慶長3)に秀吉は醍醐の花見を催すなどして旧観を取り戻した。
 また三宝院を中心として修験道当山派の本拠地とされてきたが、明治維新後、修験道が廃止され、醍醐寺は真言宗に帰入された。

寺宝

  • 紙本着色絵因果経
  • 絹本着色五大尊像
  • 閻魔(えんま)天像
  • 文殊渡海(もんじゅとかい)図などが国宝
  • 紙本墨画密教図像39点
  • 大日金輪(こんりん)像
  • 仁王経(にんのうきょう)曼荼羅図などの絵画、金銅仏具などの工芸品、彫刻など国重要文化財は非常に多い。
  • 三宝院には絹本着色訶梨帝母(かりていも)像(国宝)
  • 宝物の多くは現在宝聚院に収蔵されている。

年中行事

  • 五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)(2月23日)
  • 太閤(たいこう)花見(4月第2日曜)