がん
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
願
praṇidhāna प्रणिधान (S)
目的をたて、それを成就しようと願い求めて決意すること。仏は衆生救済のために菩薩の時に願をたてる。
経論には種々の願いが説かれるが、大別すると「菩提を証したいという願い」(求菩提願)と「衆生を救済したいという願い」(利楽他願)の2種となる〔『成唯識論』9,T31-51b〕。この2つはまとめて「上求菩提・下化衆生」といわれる。
「諸の菩薩は無上正等菩提に於て発心する、是れを発心の願と名づく」「願わくは我れ、当に無救・無依の盲闇界の中に在って、等正覚を成じ、一切の有情を利益・安楽せん」
諸仏・菩薩に共通する願に四弘誓願
- 衆生無辺誓願度 一切の衆生をさとりの岸にわたそう。
- 煩悩無尽誓願断 一切の煩悩を断とう。
- 法門無量誓願学 一切の教えを学びとろう。
- 仏道無上誓願成 この上ないさとりを成就しよう
があり総願という。また総願に対して、それぞれの仏や菩薩に固有な願を別願という。阿弥陀仏(法蔵菩薩)の四十八願、薬師仏の十二願などが代表的なものである。
大乗仏教になると、あらゆる衆生の救済を願って、無上の悟りをめざす菩薩の道が強調されるようになる。たとえば龍樹は大乗仏教の特質として、菩薩の願と行と廻向の三つをあげている。大乗の菩薩がすべてのものの救済を願うのは、慈悲の心を根本としているからである。そこでこの願は悲願といわれる。その内容はあらゆる衆生を救済する‥‥仏にならしめる‥‥ために仏国土を建設しようとすることが中心となっている。その理想を示しているのが無量寿経に説かれる法蔵菩薩の浄土建立の願である。
摂大乗論
『摂大乗論』世親釈に願波羅蜜を説くなか、願は
- 清浄意欲をもってその体となす。般若によるが故に清浄を得、大悲によるが故に意欲あり。もし分別を難るれぱこのこと成ぜざるが故に、これ無分別後智の摂なり。〔真諦訳巻第十、釈入因果修差別勝相、T31, 228c〕
と説いている。