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さんまい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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三昧 (さんまい、samaadhi समाधि(skt))

サンスクリット語を音写して、三昧、三摩提などとし、、正受、調直定、正心行処、息慮凝心どと訳す。

  •     心を一処に定めて動くことがないから。
  • 正受   正しく所観のを受けるから。
  • 調直定  心に暴を調え、心の曲がるのを直し、心が散るのを定めるから。
  • 正心行処 心の動きを正して、法に合わせるための依処であるから。
  • 息慮凝心 縁慮を止めて心念を凝結するから。

この三昧の過程に、初禅から第四禅までの4段階があり、つづいて空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処といわれる。前の四つを四静慮(四禅)、後の四つを四無色定として、三昧の深まりが極まって心のあらゆる動きが全く止滅した状態(滅尽定)を併せて、九次第定と数える。

釈迦は、出家してすぐに、無所有処と非想非非想処の境地に到達したが、そこで満足せず苦行を行い、さらに苦行を捨てて新しい行法を求めたことが仏典に知られる。
つまり仏教にとっては、三昧によって精神作用を静止すること自体には意味がない。止観が、精神の止息状態だけでなく、となって働かなければならないことを説明しているように、八正道正見がなくてはならない、と説明されている。