1155(久寿2)-1225(嘉禄1)
鎌倉時代前期の僧。諡(おくりな)は慈鎮。吉水僧正と呼ばれる。関白藤原忠通の子、兄は九条家の祖兼実。保元の乱の前年に生れ、1192年(建久3)38歳で天台座主となり、九条家の浮沈に応じて4度座主となる。歌人としても後鳥羽上皇に認められ、源頼朝とも交わった。勧学講などにより叡山に習学の風を興し、新興法然の浄土教を批判した。『新古今和歌集』に多く入集し、歌集『拾玉集』、わが国初の史論書『愚管抄』などの著作がある。