『祖堂集』(9)に
とあり、人間の生活活動、意識活動以前の生かされてあるいのち(存在)のありすがたをいう。自己および一切の存在の本来の分際(そのものがそのものとしてあるいのちのはたらきの事実と、そのありかた・ありよう)が_縁起・空であることの実相である。