(文政11(1828)‐明治24(1891))仏教学者。真言宗の僧。字は恵浄。雲洞と号する。阿波(現徳島県)の人。
13歳で剃髪し、京都へ出て諸宗の諸師を歴訪した。とくに倶舎・唯識を究め、悉曇・儀軌に精通した。 明治維新に際して、雲照らと共に教部省の設置につくした。明治9年泉涌寺住職となり、晩年には随心院門跡となった。