生没年不詳。後秦時代、鳩摩羅什門下の四哲(道生・僧肇・道融・僧叡)の1人。汲郡林慮(河南省汲県)の人。
初め外学を習い、のち羅什の門に入って訳場に参じた。彰城(江蘇省銅山県)において没した。享年74。
般若・法華・金光明・十地・維摩などの疏があったが現存しない。 吉蔵の『法華玄論』1によれば、『法華経』を講ずる時、九轍に科を分けたので時の人から九轍法師と称されたという。