さんふんべつ
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三分別
3種の分別のこと。因みに、分別は「vikalpa (S)」「vikappa (P)」。
- 自性分別 svabhāva-vikalpa 任運分別、自性思惟 現在の境を縁じて任運に其の自性を分別する
- 随念分別 anusmaraṇa-vikalpa 随憶思惟 曽更の事に随って憶念し、或いは境に随って念ずる
- 計度分別 abhinirūpaṇa-vikalpa 推度分別、分別思惟 不現見の事に於て計量推度する
- 略して3種の分別あり。1に自性分別は謂く尋伺なり。2に随念分別は謂く意識相応の念なり。3に推度分別は謂く意地不定の慧なり。 〔大毘婆沙論42〕
- 三分別とは謂く自性分別、随念分別、計度分別なり。自性分別とは、謂く現在所受の諸行の自相に於いて行ずる分別なり。随念分別とは、謂く昔の曽所受の諸行に於いて追念して行ずる分別なり。計度分別とは、謂く去来今の不現見の事に於いて思惟して行ずる分別なり。 〔大乗阿毘達磨雑集論2〕
それぞれの体
自性分別は、『婆沙』に依ると尋伺を以て体とする。尋伺は6識と相応するから、自性分別は通じて6識に在りとする。唯識によると2つの説があり、1に『婆沙』と同じように尋伺を以て前5識に通じるとするから、前5識には任運分別ありという。2に、尋伺は意識だけに相応しているから、分別は第6識だけに在るとする。
あるいは、自性分別は尋伺を体とするのではなく、8識すべてに通じている、という説もある。
随念分別は、『婆沙』に依れば第6識相応の念をもって体とし、定散に通じると説くが、大乗では尋伺を体として、ただ第6識にだけ在るという。
計度分別は、『婆沙』に依れば、第6識相応の散の慧を体とすると言う。大乗では、また2つの説がある。1には、尋伺をもって体として、三世の境を縁じるから、第6識に限って在る、とする。2には、尋伺を体とするのではなく、思と慧とに依って成立して、現在の境を縁じるから、第6識と第7識の2つの識にも在るとする。
無分別・有分別
『倶舎論』第2に、眼等の5識はただ尋伺相応の自性分別があるだけであるので、これを無分別(avikalpa)と名づけ、第6意識は計度分別と随念分別をも具して、能く所縁の境を分別するから、これを有分別(savikalpa)と名づけるという。
『成唯識論』7にも、
- 彼の所縁に於いて能く明了に取ること、眼等の識に異なれり。故に用なきにあらず。此に由りて聖教に彼の意識を説いて有分別と名づく。
と説いている。
また、『婆沙』等の説に依れば、2禅以上は無尋無伺地であるので自性分別はなく、初禅以上は定地であるから計度分別なく、ただ随念分別だけ三界に通じるとしている。