ひしょう
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被接
天台宗の教義。通教或いは別教〈五時八教〉の修行者の中で性質能力のすぐれた利根のものが、仏の点
示(ここぞといわんばかりの説きしめし)によって、過去以来身につけてきた智慧を起こして、その教説中に含まれている中道の真理を見出すことにより、それまでの行が、よりすぐれた別教または円教の行にひきつがれ、ひき入れられること。
受接<じゅしょう>ともいい、これに別接通<べっせつつう>(別入通)・円接通<えんせつつう>(円入通)・円接別<えんしょうべつ>(円入別)の3被接がある。
すなわち、通教の修行者が見道に至って空をさとった後、通教に説く空が単なる但空ではなくて不空をも兼ね含んだ不但空であると知って空を超えた中道の理を見出すとき、その理を空・仮から独立した但中と理解するものは別教にひきつがれ(別接通)、空・仮に即してまどかにとけあった不但中と理解するものは円教にひきつがれる(円接通)のである。
また別教の修行者のうち初地以上のものは無明を断って中道の理をさとっているから円教のさとりと全く一致して被接の必要はないが、地前では中道の理を但中と理解しているから、そのものが中道の理を不但中と理解するときに円教にひきつがれる(円接別)のである。なおひきつがれて別教の十廻向、円教の十信の階位にあるものは、ただ中道の理がわかっただけでまだ無明を断っていないから似位の被接、按位接<あんいしょう>といい、別教の初地、円教の初住の階位にあるものは、中道の理をさとり無明を断っているから真位の被接、勝進接<しょうしんしょう>という。