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いちほうく

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

一法句

 一の法句ということで、句とは章句ということである。

 一法句の中に無量億数の修多羅を総摂す。  〔『大法炬陀羅尼経』1〕
 一切無数の仏土に周遍して皆其の身を現じ、一切の形に於いて一法句を演ぶ。  〔『度世品経』3〕

とある。  また、天親の『浄土論』に

 亦向きに説く観察荘厳仏土功徳成就と、荘厳仏功徳成就と、荘厳菩薩功徳成就と、此の三種の成就は願心をもて荘厳せられたり。応に知るべし、略説すれば一法句に入る。一法句とは謂はく清浄句なり、清浄句とは謂はく真実智慧無為法身なるが故なり。

という。この論の説くところは、この論で観察の対象として、阿弥陀浄土の荘厳功徳を17句、仏の荘厳功徳を8句、菩薩の荘厳功徳を4句に分けて、この3種29句の荘厳功徳は、ともに清浄の一句に摂入する。清浄とは、つまり真実智慧無為法身を意味していることを説いている。
 曇鸞は、『往生論註』下で、29句を「広」とし、入法句を「略」とする。

 何故に広略相入を示現する。諸仏菩薩に二種の法身あり、一には法性法身、二には方便法身なり。法性法身に由りて方便法身を生じ、方便法身に由りて法性法身を出す。この二の法身は異にして分かつべからず、一にして同ずべからず。是の故に広略相入して統ぶるに法の名を以てす。

といって、また

 何の義に依りて之を法となすや、清浄を以ての故なり。何の義に依りて名づけて清浄となすや、真実智慧無為法身なるを以ての故なり。真実智慧とは実相の智慧なり、実相は無相なるが故に真智は無知なり。無為法身とは法性身なり、法性は寂滅なるが故に法身は無相なり。無相の故に能く相ならざるはなし、是の故に相好荘厳は即ち法身なり。無知の故に能く知ならざるはなし、是の故に一切種智は即ち真実智慧なり。

と解釈して、相好荘厳はそのまま無為法身であると解釈している。