ちしゅう
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智周
668年 - 723年。中国、唐代の僧。中国法相宗第三祖。生没年に異説があり、生涯の事跡についても不明な面が多い。俗姓は徐(じょ)氏。
19歳で出家し、初め天台宗の学を修めたが、23歳のとき法相宗第二祖慧沼に師事して法相唯識を学び、のち濮陽(河南省)の報城寺に住して法相宗義の宣揚に努めたので、濮陽大師とも称せられる。
智周没後、中国法相宗は急速に衰えたが、その伝統は、彼に就いて学んだ日本の智鳳、智鸞、智雄、さらに玄昉などによって伝えられ、南都六宗の一つとされた。
著書
- 『成唯識論演秘(じょうゆいしきろんえんぴ)』 唯識三箇(さんが)の疏の一つに数えられる
- 『成唯識論掌中枢要記(しょうちゅうすようき)』
- 『成唯識論了義燈記(りょうぎとうき)』
- 『因明入正理論前記(いんみょうにっしょうりろんぜんき)』
- 『 〃 後記』
などがある。