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なんとろくしゅう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

南都六宗

 奈良時代は、国が仏教を保護しており、その六つの宗派を「南都六宗」と呼ぶ。

  1. 三論宗(さんろんしゅう)
  2. 成実宗(じょうじつしゅう)三論宗に付属する。
  3. 法相宗(ほっそうしゅう)
  4. 倶舎宗(くしゃしゅう)  法相宗に付属する。
  5. 華厳宗(けごんしゅう)
  6. 律宗 (りっしゅう)

 「宗」は「衆」とも書き、寺内で個々独立の経済を営む存在であったが、平安中期以降のような排他的固定的性格は見られず、南都諸大寺では各寺に数宗が併存し、他宗の兼学や他寺へ行って学ぶのも自由であり、この点、今日の大学の学部・学科に近い。

 宗(衆)の実例は8世紀前半までに元興寺(がんごうじ)・大安寺・興福寺法隆寺・弘福寺(ぐふくじ)(川原寺(かわらでら))において三論・成実・法相・律の他、清弁(しようべん)系教学を奉ずる別三論宗、摂論宗(しょうろんしゅう)、護国経の読誦(どくじゅ)研究に当たる修多羅宗(しゅたらしゅう)の名が見えている。これらは南都六宗のうち、未成立の華厳宗を除く五宗に公認を限定して教学振興を図った718年(養老2)の布告に始まる律令国家の政策下に再編成され、初めて「六宗」の語が見える天平宝字4年〈760〉までに南都六宗と呼ばれる形に整えられた。
 以後、六宗のなかで法相・三論両宗の勢力が他を圧して行き、8世紀末には弟子の争奪などの角逐を演ずるにいたったが、南都すなわち六宗という概念は広く定着し、延暦25年〈806〉の新年分度者制でも度者は六宗と天台宗にほぼ平等に配している。しかし一方でこの頃から六宗は旧来の学団的存在から排他的固定的宗派色を強め、奈良時代の自由な学風は失われていった。