じょうじつしゅう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
成実宗
成実論を研究する学派の呼称。「論家」と呼ぶこともある。
成実論は、訶梨跋摩(Harivarman,3-4世紀頃)の著作で、主として部派仏教の経量部の立場から説一切有部の思想を批判し、また大乗仏教の要素も取り込んでいる。
梵本、チベット語訳は現存せず、鳩摩羅什による漢訳(411-412)が現存するのみである。書名の意味は、「真実を完成する論」と推定され、その「真実」とは四諦の教えを指すと考えられる。
中国においては、鳩摩羅什によって成実論が漢訳されると、まず門下によって研究され、しだいに中国の南北両地で盛んに研究されるようになった。特に梁代には、涅槃経を最高の経典とみなす教判の立場にたつ智蔵・僧旻・法雲の三大法師が、熱心に成実論をも研究し、そのため「成論師」などと呼ばれた。なかでも智蔵は『成実論大義記』『成実論義疏』を著して大きな影響力をもった。
しかし、こうして梁代に最盛期を迎えた成実論の研究も、法上(495-580)や吉蔵(549-623)によって小乗の論書と規定されるに至り、しだいに衰微していった。成実論の註釈書も、智蔵のそれを含めてすべて散逸して現存せず、後代における断片的な引用が知られるだけである。
なお、成実宗は、日本へは三論宗とともに中国から伝わり、南都六宗の一つとして活動したが、三論宗の寓宗として研究されるにとどまった。