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しょうぎたい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

勝義諦

paramārtha (S)

 最もすぐれた道理の意味で、仏教の究極的立場に対する呼称である。
 この点で、他の同種の意味をもった言葉である、涅槃真如法界実相などと同義語とされる。一般には、世俗と対になる語で、勝義諦⇔世俗諦と対称されて、仏教の真理観を表わす。

 「第一義」あるいは「真実」とも訳される。

tattha vuttābhidhammatthā catudhā paramatthato, cittaṃ cetasikaṃ rūpaṃ, nibbānaṃ iti sabbathā.
ここに言われるアビダンマの義は、勝義としては、全部で心(Citta)と心所(cetasikaṃ)と色(rūpa)と涅槃の四種である。〔アビダンマッタ・サンガハ, §1〕
 第一義とは諸法実相に名づく。不破不壊なるが故なり。‥‥復次に諸法の中、第一の法を名づけて涅槃と為す。    〔大智度論31〕
 勝義善とは謂く真解脱なり。涅槃の中は最勝安穏にして衆苦永寂し、無病の如くなるを以てなり。    〔倶舎論13〕
 勝とは謂く最尊にして余等なる者なし、義とは謂く別に真実の体性あり。此れ涅槃は無等にして実有なるが故に勝義と名づくることを顕す。是の如きの勝義は安穏なるを善と名づく。是の如く涅槃は是れ善常なるが故に、一切法に於いて其の体最尊なり。是の故に独り標して勝義善となす。    〔順正理論36〕
vyavahāramanāśritya paramārtho na deśyate /
paramārthamanāgamya nirvāṇaṃ nādhigamyate //〔中論、494-12,13〕
若不依俗諦 不得第一義 不得第一義 則不得涅槃 〔中論、T30-33a〕
言葉による説明(世俗諦)に依らなくては、勝義(諦)は説かれない。勝義(諦)にもとづかなければ、涅槃はさとることができない。