とくいつ
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徳一
「とくいつ」と読むのが正しい。生没年不詳。平安初期の法相宗の僧。
生存時代については諸説あるが、760年(天平宝字4)ころから840年(承和7)ころとみられる。後の伝記では藤原仲麻呂(なかまろ)の子とされている。
奈良で法相宗を学び20歳ころ東国へ移って会津に住み、常陸(茨城県)筑波山に中禅寺を、会津磐梯山(ばんだいさん)麓に恵日(えにち)寺をつくったとされる。
空海は815年(弘仁6)弟子康守(こうしゅ)を徳一のもとに派遣して香を贈り、真言の写経を依頼している。徳一は、新しい真言宗への疑問11か条を記した『真言宗未決文』を著したが、のちこの書に多くの反論が出されている。
また817年ころから約5年間にわたり、天台と法相の教義および一乗と三乗の思想をめぐって最澄と論争‥‥いわゆる三一権実(さんいちごんじつ)論争‥‥を行い、法相宗学・三乗思想の立場にたって、最澄の天台教学・一乗思想を批判した。
著作
- 仏性抄 1巻
- 中辺義鏡(ちゅうへんぎきょう)3巻
- 遮異見章(しゃいけんしょう) 3巻
- 恵日羽足(えにちうそく) 3巻
- 中辺義鏡残 20巻