なんぎょう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
難行
duṣkara (S) dukkara (P)
初期仏教以来、精励努力する正しい実践を指し、道(paṭi-padā)を納めるあり方を表すのに使われている。
ちなみに、苦行が「tapas」の言語とされているが、初期仏典では釈尊が否定した苦行のことではなく、仏道修行を熱心に精励する意味として、しばしば使われる。
龍樹は「阿惟越致相品」において、不退転の菩薩とは五法すなわち、①衆生を等心する(わけへだてない心で衆生を教化する)、②他の利養を嫉せず(他人が布施などをうけているのをみて、ねたまない)、③法師の過を説かず、④深妙の法を信楽す、⑤恭敬を貪らず(世間の人びとから敬われるのを貪らない)を具えているとする。他方、退転する菩薩とは、これらの一つも守れない者であるとする。
また、退転する菩薩に2種類があって、まず、どんなにしても不退転地が得られない敗壊の菩薩。これは求道者として使命感がなく、下劣の方を願い、名聞利養にとらわれ、心が正直でなく、人が尊敬されているのをねたみ、空性の法を学ぼうとせず、言葉だけで実行に欠けている者をいう。
つぎに、退転の菩薩であっても次第に修行し、やがて不退転地に達することのできる菩薩。これには
- 自我のとらわれを離れている。
- 他人に対しても我をみとめない。
- 一切法は二にして不二であると信ずる。
- 空をさとっているから、さとりにも執着しない。
- かたちある仏を見ず無相とみる。
このように、一見して、不退の菩薩が修める行は容易なものとうけとられようが、空性の体得を深めていく点からすると、まさしく至難の行といえる。