にしゅじんしん
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
二種深信
機の信と法の深信のこと。
機の深信とは、自身は罪悪生死の凡夫であり、迷いの世界を離れる縁が全くないと信じることをいう。
法の深信とは、阿弥陀仏の本願力の救いを信じることをいう。
- 一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二つには決定して深く、かの阿弥陀仏の四十
八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなく、かの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。〔散善義 p.457〕〔註:二種深信〕 「一つには」と示されるのが機の深信、「二つには」と示されるのが法の深信である。このほか『礼讃』(七註654)にも示されている。また、機の深信は衆生(機)の本来のすがたを信知することであることから信機ともいい、法の深信は阿弥陀仏の救いのはたらきを信知することであるから信法ともいう。この二種の深信は他力信心のすがたを示し、二種一具の関係にあって、別々のものでも矛盾するものでもなく、一つの信心の両面をあらわしている。
なお、二種の心が並び起こるものである(二心並起)としたり、前後関係がある(前後起)とする異安心に対し、安心論題に「二種深信」が設けられている。