ごじ
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
五事
pañca khandhā (S)
五蘊のこと。個人存在の具体的なあらわれである五つの構成要素。〔那先比丘経、T32-696a,706a〕
四部律
- 乞食
- 糞掃衣
- 露坐
- 不食酥塩
- 不食魚肉
の5つをいう。〔四分律、T22-909b〕
pañca vastūni
五法。五つの事がら。五つの範疇。
- 名(nāman)
- 相(nimitta)
- 分別(vikalpa)
- 真如(tathatā)
- 正智(samyag-jñāna)
の5つをいう。これらによってあらゆるあり方を総称するという。五事と三自性との関係が、唯識関係の諸経論中でとりあげられているが、その説は一定していない。
大天の五事
釈尊の入滅後100年経ったころ、インドの大天(Mahādeva)という修行僧の唱えた異議の五か条のこと。
- 余所誘
阿羅漢でも、他のもの、たとえば天魔などに誘惑されると不浄を漏らすことがある。漏失には2種類ある。煩悩の漏失は阿羅漢にはないけれど、不浄の漏失は天魔がやってきて戯れるときには免れえないこと。 - 無知
阿羅漢でもまだ知らないことがある。無知には2種類あって、阿羅漢には染汚無知はないけれど、不染汚無知はなお残ること。 - 猶予
阿羅漢でもなお疑問をいだくことがある。疑惑には2種類あって、阿羅漢には煩悩としての疑いはないけれど、なすべきことと、なすべからざることとの疑いはなお残ること。 - 他令入
阿羅漢でも、自らは阿羅漢となったことを知らず、必ず他人が汝はもう阿羅漢の位に入ったとさとらせてくれてはじめて自分が阿羅漢になったことを知る、ということだと伝統的に解釈されている。しかし異訳からみると、他人が救ってくれるという意味らしい。阿羅漢にも他人の指示によってはじめて知るものがあること。 - 道因声故起
さとりはことばによって表わされる。後の解釈によると、聖なる道は「苦しいものだな」と叫ぶことによって起こる。仏道はまことをこめて苦を叫ぶことから起こること。