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ātman

 自己。自己という存在。他(para)に対する自(ātman)。自相続と訳す「sva-saṃtāna」を「自」と訳す例がある。

sva : svaka

 「自己の」「自らの」という形容詞。

自らの児の為の故に勤めて守護を加う

ātmanā : mayā : svayam

 「自己自身で」「みずから」を意味する副詞。

独覚というは唯だ自ら道を悟るをいう
仏菩薩は漏尽智に由って自らに染汚なし

pathavī (P); pṛthivī (S)

 地の元素。

mahā-paṭhavī (S)

 土地。目に見える大地。

bhūmi (S)

 活動領域。

 地謂行処〈bhūmir nāma gati-viṣayaḥ〉    〔倶舎論4〕

 菩薩修行の階位、階梯。

 立地次第〈bhūmi-krama-vyavasthā〉

 に対する言葉。

 は個別的具体的な事象・現象を意味し、は普遍的な絶待・平等の真理・理法を指す。このような概念はインド仏教では顕著ではなく、また漢訳仏典にも現れない中国仏教に独特のものである。
 ことに華厳では、は融通無碍の関係にあると説き、四法界や三重観門などの教理を作り上げて、普遍的なと個別的具体的なとか一体にして不可分であることを強調した。

  • 密教では、を摂持の義と解して、一切の事相がおのおのその体を摂持するから、これをとして、理の体を地水火風空識の六大とする。
 於諸色聚中、略有十四種事。謂、地水火風色声香味触及眼等五根。〔『瑜伽論』3、T30-290b〕
 事者、謂、所有諸色、皆是四大種及四大種所造。(『瑜伽論無53、T30-593c〕
 事者、体也、物也。総諸色聚、有十四物。〔『略纂』2、T43-19c〕

vastu (S)

 ことがら。具体性。現象。
 存在全体の呼称。存在全体は大きく有為(作られた現象的存在)と無為(作られない非現象的存在)とに分けられる。唯識は 存在全体を相・名・分別・真如・正智の5つに分類してまてめて五事という。
 個別的現象。差別の相。具体的、差別的なもの。差別のすがた。〔『起信論』T32-577b: 『五教章』4 T45-505a〕

 事有二種。一者有為、二者無為。〔『瑜伽』38、T30-499a〕
 云何五事。一相、二名、三分別、四真如、五正智。〔『瑜伽』72、T30-696a〕

vṛtti (s)

 活動。はたらき。現象面のはたらき。〔『金七十論』上, T54-1248a〕

kāya-sańkhāra (P)

 はたらきを起こす力。潜在的形成力。形成力。〔『那先比丘経』上, T32-696c〕

dravya (S)

 もの。実体。対象。事物。〔『倶舎論』1〕
 『倶舎論』では極微(paramāńu(S))を意味している。

adhikāra (S)

 空間的・時間的に限定された現象的特殊者、または個別者。特に日本の天台宗で強調する。

 仏の相好や浄土のすがたを観想すること。〔『往生要集』, T84-33a〕

mettā (P); maitrī or maitra (S)

 これらの原語は、語源的には「友」「親しきもの」を意味する「mitra」という語からの派生語であって、真実の友情、純粋の親愛の念、を意味するものである。
 これは、インド一般にその意味で理解されている。

 maitro mitrabhāvo maitrī mitratayā vā vartata iti maitrḥ. 〔Śańkara ad Bhagavadgītā, XII, 13〕

詩人バルトリハリも

 友情は愛情の無いことから消滅する。(vinaśyati maitrī cāpraṇayāt, Nītiśloka, v, 23, p.10, ed. by D.D.Kosambi)

という。また maitrā という語もあるが、それは maitrā bhāvanā の意味であるらしい。〔Saundarananda VIII, 1; XVI, 59, 63〕

 オルデンベルヒは、maitrīという語は、ミトラ(Mitra)という神の名から出たものであると解釈している。かれによると、この神は、インド人とイラン人とがイランの土地でまだ一つの民族を形成していたときに、すでに崇拝されていた。そうしてこの神は、のちにはローマの世界帝国においては、キリスト教の神と競争者となって覇を争い、世界及び未来を支配する力があると考えられた。しかしその起源を尋ねると、むかしは、万物を観照する太陽の観念にもとづいて、人間の間の誠実と信仰とを監視する神であった。約束を破る人はミトラ神を欺く人であって、この神の怒りを蒙る。そこでミトラは「友」を意味する語となり、この語によっては特に誠実の義務(Treupflicht)が考えられた。〔H. Oldenberg: Aus den alten Indien, S. 3-4〕
 ただし上座部の学者は mettā を mid という語根(to love, to be fat)から導き出している。"mejjatī ti metta. siniyhatī ti atto."〔Atthasālinī p.192〕
 ブッダゴーサはやはりこの解釈を挙げた直後に、「友」という語から導き出した別の解釈をも示している。

 mitte vā bhavā, mittassa vā esa pavattī ti pi mettā 〔Visuddhimagga, p.318〕