ウパニシャッド
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ウパニシャッド
Upaniṣad उपनिषद् (S)
古代インドの哲学書。インド思想の根本として重要な文献である。バラモン教の聖典ヴェーダの4部門の最終部門なので「ヴェーダーンタ Vedaanta (ヴェーダの末尾)」とも呼ばれ、のちに「ヴェーダの極致」と解釈された。
「ウパニシャッド」の語義は、通説によれば「近くに座る upa‐ni‐sad」という動詞から転じて、師弟が対座して師から弟子へと伝達される「秘義」をさすとされたため、「奥義書」と訳されたことがある。
時代区分
現存するウパニシャッドは200種以上だが、時代的に古く重要なものの14~17編を特に「古ウパニシャッド」と呼ぶ。これらは、前500年を中心とした前後の数百年間に成立したものと考えられる。『ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド Bṛhad‐āraṇyaka‐upaniṣad』『チャーンドーギャ・ウパニシャッド Chāndogya‐upaniṣad』の2編が、その代表である。
「古ウパニシャッド」以降も文献は続々と作成され、一括して「新ウパニシャッド」という。
初期ウパニシャッド
ヴェーダ文献の最終部門をなすウパニシャッドは、宇宙の根本原理や個体の本質に関する哲学的教説を主内容とし、祭式主義から主知主義への移行をはっきりと示している。その最古のものは紀元前6世紀ごろに成立した。
ウパニシャッドの主役を減ずるのは婆羅門の哲学者であるが、そのころ婆羅門文化の中心地を離れて成長しつつあった民族国家の国王たちのあいだには斬新な知識をもつ者があり、彼らがそれを婆羅門に提供することもしばしばあった。また、民間の素朴な信仰や呪法も婆羅門に摂取された。このような諸事情のもとに成立した雑多な思想が初期ウパニシャッドには盛られている。後代の思想に強い影瞬を与えるのは宇宙原理プラフマンと個体原理アートマンの合一説であり、業・輪廻の教説である。
初期ウパニシャッドのうちでも『ブリハッド・アーラヌヤカ』Bṛhad āraṇyaka と『チャーンドーギャ』Chāndogya の2大雄篇が最も古く、次いで『アイタレーヤ』Aitareya・『カウシータキ』Kauṣītaki・『タイティリーヤ』Taittirīya が、さらに『ケーナ』Kena・『イーシャー』Īśā が、いずれも仏教興起以前に成立した。
梵我一如
ウパニシャッドは主として対話・問答形式で書かれている。「古ウパニシャッド」に限っても数百年の期間をかけて、多数の思想家の手を経て作成されたので、種々雑多の思想を含み、相互に矛盾する説が収められていることも多い。
特にウパニシャッドの中心思想とされ、後世に最も大きな影響を与えたのは、「梵我一如(ぼんがいちによ)」の思想である。
これは、宇宙の本体としての「ブラフマン(梵)」、および人間存在の本質としての「アートマン(我)」とをそれぞれ最高の実在として定立したうえで、この両者が本質的には同一であって、その同一性を悟ることによって解脱が得られると説くもので、『リグ・ヴェーダ』末期以来徐々に発展しつつあった一元論的傾向が、いちおうの頂点に達したものと考えられる。
代表的思想家としては、梵=我を純粋の認識主体と考えてその精神性を強調し、観念論への道を開いたヤージュニャバルキヤ、および「実有 sat」としての梵我を第一存在として、「実有」からの宇宙発生を説いたウッダーラカ・アールニの両者が挙げられる。
「梵我一如」の思想は、のちにヴェーダーンタ学派に継承され、インドにおける最も有力な思想となった。また、ウパニシャッドにおいてはじめて明示された輪廻の思想、および輪廻の原因としての業の思想は、以後のインド思潮全般に絶大な影響を与えた。仏教をはじめとするインドの宗教・哲学諸派は、一様に輪廻説を承認し、なんらかの形で輪廻から解脱することを理想としたのである。
西欧への影響
ウパニシャッドは、19世紀冒頭フランスの東洋学者アンクティル・デュペロンのラテン語訳『ウプネカットOupnek'hat』によってはじめて世界に紹介された。これはペルシア語訳からの重訳である。ドイツの哲学者ショーペンハウアーが、この翻訳から大きな影響を受けた。