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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 自己の身心([[ごうん|五蘊]])に対してそこに自己([[が|我]])と自己のもの([[がしょ|我所]])とを設定してそれらに[[しゅうじゃく|執着]]することから生じるおごるこころ。七慢の一つ。[[まなしき|末那識]](潜在的な自我執着心)とともに働く[[しぼんのう|四煩悩]]の一つ。
 
 自己の身心([[ごうん|五蘊]])に対してそこに自己([[が|我]])と自己のもの([[がしょ|我所]])とを設定してそれらに[[しゅうじゃく|執着]]することから生じるおごるこころ。七慢の一つ。[[まなしき|末那識]](潜在的な自我執着心)とともに働く[[しぼんのう|四煩悩]]の一つ。
  
; 於五取蘊、執我我所、令心高挙、名為我慢〔『倶舎論』19、T29-101a〕
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 於五取蘊、執我我所、令心高挙、名為我慢〔『倶舎論』19、T29-101a〕
  
; 我慢者、謂、据倣。恃所執我、令心高挙、故名我慢。〔『成唯識論』4,T31-22b〕
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 我慢者、謂、据倣。恃所執我、令心高挙、故名我慢。〔『成唯識論』4,T31-22b〕
  
; 妄観諸行、為我我所、令心高挙、故名我慢。〔『瑜伽師地論』89、T30-802c〕
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 妄観諸行、為我我所、令心高挙、故名我慢。〔『瑜伽師地論』89、T30-802c〕
  
; 我慢者、謂、於五取蘊、観我我所、心挙為性。〔『集論』4,T31-676c〕
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 我慢者、謂、於五取蘊、観我我所、心挙為性。〔『大乗阿毘達磨集論』4,T31-676c〕

2020年7月10日 (金) 15:13時点における最新版

我慢

asmimāna (S)

 自己の身心(五蘊)に対してそこに自己()と自己のもの(我所)とを設定してそれらに執着することから生じるおごるこころ。七慢の一つ。末那識(潜在的な自我執着心)とともに働く四煩悩の一つ。

 於五取蘊、執我我所、令心高挙、名為我慢〔『倶舎論』19、T29-101a〕
 我慢者、謂、据倣。恃所執我、令心高挙、故名我慢。〔『成唯識論』4,T31-22b〕
 妄観諸行、為我我所、令心高挙、故名我慢。〔『瑜伽師地論』89、T30-802c〕
 我慢者、謂、於五取蘊、観我我所、心挙為性。〔『大乗阿毘達磨集論』4,T31-676c〕