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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 『瑜伽』45、T30-539aを参照。
 
 『瑜伽』45、T30-539aを参照。
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=思慧=
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<big>cintā-mayī prajñā</big> (S)
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 [[さんね|三慧]]([[もんえ|聞慧]]・'''思慧'''・[[しゅうえ|修慧]])の一つ。聞いた教えの内容を自ら[[しゆい|思惟]]することによって得られる[[ちえ|智慧]]。教えを聞くことによって得られる聞慧の次に起こすべき智慧であり、この思慧を経て最終的には修慧を得ることになる。詳しくは[[ししょじょうえ|思所成慧]]という。
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: 聞慧に由るが故に[[みりょうぎ|未了義]]に於て能く正しく解了し、思慧に由るが故に未善決定義に於て能く善く思惟し、修慧に由るが故に諸の煩悩を断ず。
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: [[しょうり|正理]]を思うに依って生ずる[[しょうえ|勝慧]]を思所成慧と名づく。
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===思と慧===
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 尋とは謂く、心をして忽遽<こつご>に意言の境に於て鹿に転ぜしむるを性と為し、思慧の分位なり。

2021年8月30日 (月) 15:14時点における版

四依

 教えを聞いて修行する際の4つの正しいよりどころ。法と義と了義経と智の4つ。

  1. 法によって人によらない。教えを説いた人ではなく、その人を通して説かれた教え(法)、あるいは教えが意味する真理を信じる。
  2. 義によって文によらない。教えを聴くとき、その文句ではなく、その文句が指し示す意味内容を把握する。
  3. 了義経によって不了義経によらない。いまだ意味を完全に説き示していない経典ではなく、意味を完全に説き明かした経典をよりどころとする。
  4. によってによらない。教えを概念的に知るのではなく、真理を証する智で知る。
四依。一法是依、非補特伽羅。二義是依、非文。三了義経是依、非不了義。四智是依、非識。〔『瑜伽』13、T30-346b〕

 『瑜伽』45、T30-539aを参照。

思慧

cintā-mayī prajñā (S)

 三慧聞慧思慧修慧)の一つ。聞いた教えの内容を自ら思惟することによって得られる智慧。教えを聞くことによって得られる聞慧の次に起こすべき智慧であり、この思慧を経て最終的には修慧を得ることになる。詳しくは思所成慧という。

 聞慧に由るが故に未了義に於て能く正しく解了し、思慧に由るが故に未善決定義に於て能く善く思惟し、修慧に由るが故に諸の煩悩を断ず。
 正理を思うに依って生ずる勝慧を思所成慧と名づく。

思と慧

 尋とは謂く、心をして忽遽<こつご>に意言の境に於て鹿に転ぜしむるを性と為し、思慧の分位なり。