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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(常楽我浄)
 
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 凡夫が自己と世界との真相を知らないで、永遠に存在し(常)、楽しみであり(楽)、自由な主体をもち(我)、きよらかである(浄)、とする誤った見解([[してんどう|四顛倒]])の内容。
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 [[ぼんぶ|凡夫]]が自己と世界との真相を知らないで、永遠に存在し(常)、楽しみであり(楽)、自由な主体をもち(我)、きよらかである(浄)、とする誤った見解([[してんどう|四顛倒]])の内容。<BR>
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 ものの真実の在り方に反し、[[むじょう|無常]]を常、[[く|苦]]を楽、[[むが|無我]]を我、[[ふじょう|不浄]]を浄と思うこと。
  
 [[ねはん|涅槃]](さとり)の徳は、絶対の永遠であり(常)、楽しみであり(楽)、能動的な自在者であり(我)、きよらかである(浄)こと。これを[[しとく|四徳]]または'''涅槃の四徳'''という。
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 [[ねはん|涅槃]](さとり)の[[とく|徳]]は、絶対の永遠であり(常)、楽しみであり(楽)、能動的な自在者であり(我)、きよらかである(浄)こと。これを[[しとく|四徳]]または'''涅槃の四徳'''という。<BR>
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 ニルヴァーナの四徳を表わす。ニルヴァーナは永遠であり(常)、安楽に満ち(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)ためである。特に『涅槃経』に説かれる。〔四教儀註〕〔往生要集、T84, 77a〕
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 [[ほっかい|法界]]の4つの属性を言う。〔大方等無想経2、T12, 1083a〕

2022年10月26日 (水) 16:14時点における最新版

常楽我浄

 凡夫が自己と世界との真相を知らないで、永遠に存在し(常)、楽しみであり(楽)、自由な主体をもち(我)、きよらかである(浄)、とする誤った見解(四顛倒)の内容。
 ものの真実の在り方に反し、無常を常、を楽、無我を我、不浄を浄と思うこと。


 涅槃(さとり)のは、絶対の永遠であり(常)、楽しみであり(楽)、能動的な自在者であり(我)、きよらかである(浄)こと。これを四徳または涅槃の四徳という。
 ニルヴァーナの四徳を表わす。ニルヴァーナは永遠であり(常)、安楽に満ち(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)ためである。特に『涅槃経』に説かれる。〔四教儀註〕〔往生要集、T84, 77a〕


 法界の4つの属性を言う。〔大方等無想経2、T12, 1083a〕