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: 三諦は一諦にして、三にあらず一にあらず。しかも三、しかも一にして、不可思議なり。三はおのおの三を具して、倶体倶用なり 〔天台法華宗牛頭法門要纂〕 | : 三諦は一諦にして、三にあらず一にあらず。しかも三、しかも一にして、不可思議なり。三はおのおの三を具して、倶体倶用なり 〔天台法華宗牛頭法門要纂〕 | ||
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+ | 空は但空であり、見思の惑を破し、仮は但仮にして塵沙の惑を破し、中は但中であって無明の惑を破す。<br> | ||
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+ | :各歴の三諦は麁法也。圓融の三諦は妙法なり。〔法華玄義1上〕 |
2025年5月3日 (土) 11:08時点における最新版
三大
大乗の法体は人間の心に他ならないということから、心の本体(体)、すがた(相)、はたらき(用(ゆう))を合わせて三大という。『大乗起信論』(体相用)によれば、心の実体は普遍平等・広大無辺の真如であるから「体大」といい、その根底に無限の功徳を如来蔵として備えているから「相大」といい、その功徳によって善行を積んで善果を得、解脱に到らせるはたらきを持つので「用大」という。
また、三大阿僧祇劫の略。
三諦
「さんたい」とも読む
真俗二諦説を天台智顗が三観思想によって展開させた空(くう)仮(け)中(ちゆう)の三諦をいう。
あらゆる存在は実体のない空であるとする否定面の空諦(真諦)、実体はないが縁起による仮(かり)の存在とみなす肯定面の仮諦(世俗諦)、空諦仮諦を現象面的でない空・仮を超えた本体的面を意味する中道第一義諦で、別教の次第・隔歴の三諦に対して、円教の三諦は一諦の中に三諦を具融する即空即仮即中の円融(えんにゅう)三諦といわれる。
- 天台には空・仮・中の三諦、性・縁・了の三法義 〔三部経大意〕
- 三諦は一諦にして、三にあらず一にあらず。しかも三、しかも一にして、不可思議なり。三はおのおの三を具して、倶体倶用なり 〔天台法華宗牛頭法門要纂〕
隔歷三諦
空は但空であり、見思の惑を破し、仮は但仮にして塵沙の惑を破し、中は但中であって無明の惑を破す。
空観よりして仮観に入り、仮観よりして中観に入る。このように空仮中の3つ各別に次第するのを隔歷の三諦と名付け、別教の分際とする。
- 各歴の三諦は麁法也。圓融の三諦は妙法なり。〔法華玄義1上〕