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− | '''一来''' (いちらい、sakRd-aagaamin सकृद् इगामिन्(sanskrit))は、[[さんすくりっとご|サンスクリット語]]を音写して旧訳では「斯陀含」(しだごん)という。一度(sakRd)天界に生れ再び人間界に戻ってさとりに入る者のことで、[[しこうしか|四向四果]]の一。[[げんしぶっきょう|原始仏教]]では、有身見(うしんけん)・戒禁取見(かいごんじゅけん)・疑の三結を断ち、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の[[さんどく|三毒]]が薄くなった者。『''[[くしゃろん|倶舎論]]'' 』では、一来向は[[欲界]]の修惑(しゅわく)(情的煩悩)の前三品または四品を断じた者とし、人界の家と天界の家とを往復するから「家家」(けけ)と呼ぶ。一来果は欲界の前六品を断じた位である。 | + | '''一来''' (いちらい、sakRd-aagaamin सकृद् इगामिन्(sanskrit))は、[[さんすくりっとご|サンスクリット語]]を音写して旧訳では「斯陀含」(しだごん)という。一度(sakRd)天界に生れ再び人間界に戻ってさとりに入る者のことで、[[しこうしか|四向四果]]の一。[[げんしぶっきょう|原始仏教]]では、有身見(うしんけん)・戒禁取見(かいごんじゅけん)・疑の三結を断ち、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の[[さんどく|三毒]]が薄くなった者。『''[[くしゃろん|倶舎論]]'' 』では、一来向は[[よっかい|欲界]]の修惑(しゅわく)(情的煩悩)の前三品または四品を断じた者とし、人界の家と天界の家とを往復するから「家家」(けけ)と呼ぶ。一来果は欲界の前六品を断じた位である。 |
2004年3月28日 (日) 04:52時点における版
一来 (いちらい、sakRd-aagaamin सकृद् इगामिन्(sanskrit))は、サンスクリット語を音写して旧訳では「斯陀含」(しだごん)という。一度(sakRd)天界に生れ再び人間界に戻ってさとりに入る者のことで、四向四果の一。原始仏教では、有身見(うしんけん)・戒禁取見(かいごんじゅけん)・疑の三結を断ち、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒が薄くなった者。『倶舎論 』では、一来向は欲界の修惑(しゅわく)(情的煩悩)の前三品または四品を断じた者とし、人界の家と天界の家とを往復するから「家家」(けけ)と呼ぶ。一来果は欲界の前六品を断じた位である。