げんしぶっきょう

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原始仏教

仏滅直後の仏教を指す。仏滅後100年頃、根本分裂と呼ばれる教団の分裂が起こり、それ以後さまざまな部派に分裂を繰り返し部派仏教と呼ばれるようになる。そのような修行者の仏教とは別に、仏灯崇拝をする在家者を中心とする大乗仏教が発ってくるが、それらすべての仏教の根本に釈迦の教えがある。その意味で「根本仏教」とも呼ばれる。

ヨーロッパで仏教についての研究が始められたとき、最初期の仏教を「primitive Buddhism」と呼ばれたのが、この「原始仏教」という言葉の最初である。

厳密な意味

釈迦とその直弟子の仏教を「根本仏教」とし、これに孫弟子以下の時代の仏教を含めて広く「原始仏教」として区別する場合もある。
ただ根本仏教の用語は、後世の仏教を枝葉末節として極端に低い評価を下すものと批判される。この点で「初期仏教」(early Buddhism)の語が没価値的な表現であるとして好まれる。しかし「原始仏教」の用語は、木村泰賢『原始仏教思想論』(1924)や和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』(1927)などによって、今では広く用いられる。これを英語で(original Buddhism)とすることもある。

布教と伝播

釈迦は、東方インドのガンジス河中流地域で伝道布教したが、晩年は、弟子らが活躍して、アヴァンティ国(都Ujjenii)を中心とする西方インドに発展した。さらにアショーカ王時代には、インドのほぼ全域からスリランカや西北インド(現在のパキスタン北部)など辺境の地にも仏教がひろがった。
釈迦自身は古代マガダ語または古代東部インド語と呼ばれる東方の言語で話していたらしいし、その痕跡はパーリ語聖典のうちに認められる。後には西部インドで成立したパーリ語が教団の聖典用語として用いられるようになった。

聖典の成立

仏教の聖典をの〈三蔵〉と総称するが、そのうち律蔵と経蔵の二蔵がこの時代に成立し、「原始仏教聖典」とも呼ばれる。
現在漢訳されて伝えられている経蔵の内容は、長阿含中阿含雑阿含増一阿含の四阿含であり、また上座部では、長部中部相応部増支部小部の五部(ニカーヤ)で構成されている。長阿含(長部)は長い経典の集成、中阿含(中部)は中位の長さの経典の集成で、雑阿含(相応部)と増一阿含(増支部)の2部2阿含は短い経典の集成である。

中心的教理

原始仏教聖典は、釈迦の言行録を長い年月をかけてまとめたため、幾多の新古の層より成る。原始仏教の中心的な教理としては、最初の説法で説かれたといわれる四諦八正道縁起五蘊無常無我の説や、後になってまとめられたと思われる解脱知見の四法の教説などがあげられる。
律蔵は僧・尼の守るべき戒律の条項やその制定の原因、条項の解説、運用法などをまとめたもの。時代の経過とともに次第に条項が増加して、後世250戒といわれたりするが、原始仏教時代にはわずかであったと思われる。