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2007年11月21日 (水) 18:52時点における版
護法
530年‐561年 サンスクリットでは、ダルマパーラ Dharmapaala धर्मपाल。
インドの大乗仏教の学僧。瑜伽行唯識派の所属で十大論師の一人。
南インドのドラビダ国に大臣の子として生まれたが、王の娘との結婚式の夕べに出家した。
唯識だけでなくインド一般の学問にも通じ、ナーランダー寺に入り、ここで戒賢(シーラバドラ ziilabhadra शीलभद्र)や最勝子など多くの弟子を育成した。
従来の諸学説を検討、集大成して無相唯識を提唱した。特に、阿頼耶識には、人間に本来そなわっている種子と、新たに発生する「種子」がある(新旧合生説)とする種子論、また認識は対象(相分)、主観(見分)、認知(自証分)、再確認(証自証分)の4要素の相互作用による(四分説)とする認識作用の分析が有名。彼の学説は弟子の戒賢から玄奘に伝えられ、中国で法相宗を形成した。
29歳でブッダガヤー(仏陀伽耶)の菩提樹辺に隠棲し、32歳で世を去った。
著書
- 成唯識宝生論
- 大乗広百論釈論
- 観所縁論釈
- 成唯識論