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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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[[しんにょ|真如]]の別名。<br>
 
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真如は[[が|我]]と[[ほう|法]]の二つの[[しゅうじゃく|執着]]を離れた実体であるから、[[くうがん|空観]]を修行して二執を離れたときに真如の実体が現れる。空によって顕れる実性であるから「空性」という。<br>
 
真如は[[が|我]]と[[ほう|法]]の二つの[[しゅうじゃく|執着]]を離れた実体であるから、[[くうがん|空観]]を修行して二執を離れたときに真如の実体が現れる。空によって顕れる実性であるから「空性」という。<br>
'''真如の体が空、ということではない。'''
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*'''真如の体が空、ということではない。'''
  
 
:梵に舜若という。如は空なりと説くべし。舜若多と名づくるは、如は空の性なり。即ちこれ二空により所顕の実性なり。故に空と言うは、能顕に従えて説く。二空の性なり。依士釋の名なり。真如は空なりと言うは、いまだ理は善とせざるが故。 ''『唯識述記』一本''
 
:梵に舜若という。如は空なりと説くべし。舜若多と名づくるは、如は空の性なり。即ちこれ二空により所顕の実性なり。故に空と言うは、能顕に従えて説く。二空の性なり。依士釋の名なり。真如は空なりと言うは、いまだ理は善とせざるが故。 ''『唯識述記』一本''

2007年11月30日 (金) 07:56時点における版

空性

サンスクリット zuunyataa शून्यता。「舜若多」と音写する。

真如の別名。
真如はの二つの執着を離れた実体であるから、空観を修行して二執を離れたときに真如の実体が現れる。空によって顕れる実性であるから「空性」という。

  • 真如の体が空、ということではない。
梵に舜若という。如は空なりと説くべし。舜若多と名づくるは、如は空の性なり。即ちこれ二空により所顕の実性なり。故に空と言うは、能顕に従えて説く。二空の性なり。依士釋の名なり。真如は空なりと言うは、いまだ理は善とせざるが故。 『唯識述記』一本