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:すべての存在は、幻影のごとく、陽炎のごとく、水中の月のごとく、虚空のごとく、こだまのごとく、蜃気楼のごとく、夢のごとく、影のごとく、鏡の中の像のごとく、変化のごとくであると、こころを開いてさとる。 | :すべての存在は、幻影のごとく、陽炎のごとく、水中の月のごとく、虚空のごとく、こだまのごとく、蜃気楼のごとく、夢のごとく、影のごとく、鏡の中の像のごとく、変化のごとくであると、こころを開いてさとる。 | ||
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+ | いわば「存在」という現象が生じている、ということである。 |
2017年4月6日 (木) 20:54時点における最新版
存在
「存在」は、近代の語であり、旧来の仏教語には出てこない。
『大智度論』では「諸法」という語を使っている。法には様々な意味があるが、その一つが「存在」である。
大品般若経では、この諸法を
- すべての存在は、幻影のごとく、陽炎のごとく、水中の月のごとく、虚空のごとく、こだまのごとく、蜃気楼のごとく、夢のごとく、影のごとく、鏡の中の像のごとく、変化のごとくであると、こころを開いてさとる。
と10の喩えを出して説明しており、それは
ということを説明している。
いわば「存在」という現象が生じている、ということである。