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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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「存在」は、近代の語であり、旧来の仏教語には出てこない。
  
「存在」は、近代の語であり、旧来の仏教語には出てこない。『[[だいちどろん|大智度論]]』では「[[しょほう|諸法]]」という語を使っている。[[ほう|法]]には様々な意味があるが、その一つが「存在」である。
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[[だいちどろん|大智度論]]』では「[[しょほう|諸法]]」という語を使っている。[[ほう|法]]には様々な意味があるが、その一つが「存在」である。<br>
 
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[[だいぼんはんにゃきょう|大品般若経]]では、この諸法を
 [[だいぼんはんにゃきょう|大品般若経]]では、この諸法を
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:すべての存在は、幻影のごとく、陽炎のごとく、水中の月のごとく、虚空のごとく、こだまのごとく、蜃気楼のごとく、夢のごとく、影のごとく、鏡の中の像のごとく、変化のごとくであると、こころを開いてさとる。
 
:すべての存在は、幻影のごとく、陽炎のごとく、水中の月のごとく、虚空のごとく、こだまのごとく、蜃気楼のごとく、夢のごとく、影のごとく、鏡の中の像のごとく、変化のごとくであると、こころを開いてさとる。
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ということを説明している。
 
ということを説明している。
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 いわば「存在」という現象が生じている、ということである。

2017年4月6日 (木) 20:54時点における最新版

存在

「存在」は、近代の語であり、旧来の仏教語には出てこない。

大智度論』では「諸法」という語を使っている。には様々な意味があるが、その一つが「存在」である。
大品般若経では、この諸法を

すべての存在は、幻影のごとく、陽炎のごとく、水中の月のごとく、虚空のごとく、こだまのごとく、蜃気楼のごとく、夢のごとく、影のごとく、鏡の中の像のごとく、変化のごとくであると、こころを開いてさとる。

と10の喩えを出して説明しており、それは

すべての存在は、〔縁起であるから〕である。

ということを説明している。

 いわば「存在」という現象が生じている、ということである。