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有余涅槃は、煩悩は断じたが肉体はなお残存する場合、無余涅槃は、煩悩も肉身もともに完全に減した状態をいう。 | 有余涅槃は、煩悩は断じたが肉体はなお残存する場合、無余涅槃は、煩悩も肉身もともに完全に減した状態をいう。 | ||
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+ | [[ゆいしき|唯識]]では、[[ぼんのうしょう|煩悩障]]を断じて現わされた[[しんにょ|真如]]において、[[だいはっしき|第八識]]が[[だいえんきょうち|大円鏡智]]に転じて一切の諸[[わく|惑]]を[[じゃくめつ|寂滅]]して余すところのないこと。 | ||
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+ | 無余涅槃と申は、身も心も皆ほろび失せて又いづくにも生ぜずして永く去り果つる也。是即有爲の諸法は皆尽き失せて無爲常住の法性の真理のみに成る也。 〔唯識大意〕 | ||
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+ | 完全な涅槃。<big>parinirvāṇa</big> (S)〔勝鬘経 T12-221b〕 |
2017年5月9日 (火) 04:28時点における版
無余涅槃
nirpadhiśeṣaṃ nirvāṇaṃ (S)、anupādhisesa-nibbāna (P)
小乗仏教では、涅槃とは煩悩を滅し尽くした状態であるとし、これを有余(依)涅槃と無余(依)涅槃の二つの涅槃に分ける。
有余涅槃は、煩悩は断じたが肉体はなお残存する場合、無余涅槃は、煩悩も肉身もともに完全に減した状態をいう。
唯識では、煩悩障を断じて現わされた真如において、第八識が大円鏡智に転じて一切の諸惑を寂滅して余すところのないこと。
無余涅槃と申は、身も心も皆ほろび失せて又いづくにも生ぜずして永く去り果つる也。是即有爲の諸法は皆尽き失せて無爲常住の法性の真理のみに成る也。 〔唯識大意〕
完全な涅槃。parinirvāṇa (S)〔勝鬘経 T12-221b〕