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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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仁安2-文暦2(1167-1235)「[[しょうかく]]」とも読む。
 
仁安2-文暦2(1167-1235)「[[しょうかく]]」とも読む。
  
 [[てんだいしゅう|天台宗]]の僧。藤原通憲の孫で、父は澄憲。出家して[[ひえいざん|比叡山]]の静厳に師事し、のち竹林院の里坊である[[あぐいん|安居院]]に住して唱導を以て称され、安居院[[ほういん|法印]]の名があった。<br>
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 [[てんだいしゅう|天台宗]]の僧。藤原通憲の孫で、父は澄憲。出家して[[ひえいざん|比叡山]]の静厳に師事し、のち竹林院の里坊である[[あぐい|安居院]]に住して唱導を以て称され、安居院[[ほういん|法印]]の名があった。<br>
 
 また[[ほうねん|法然]]に師事し、浄土教に帰依した。ただし嘉禄の法難では念仏停止を進言した。
 
 また[[ほうねん|法然]]に師事し、浄土教に帰依した。ただし嘉禄の法難では念仏停止を進言した。
  
 
 著書、『[[ゆいしんしょう|唯信鈔]]』一巻は念仏往生における信の立場を明示した。
 
 著書、『[[ゆいしんしょう|唯信鈔]]』一巻は念仏往生における信の立場を明示した。

2017年5月26日 (金) 05:47時点における最新版

聖覚

仁安2-文暦2(1167-1235)「しょうかく」とも読む。

 天台宗の僧。藤原通憲の孫で、父は澄憲。出家して比叡山の静厳に師事し、のち竹林院の里坊である安居院に住して唱導を以て称され、安居院法印の名があった。
 また法然に師事し、浄土教に帰依した。ただし嘉禄の法難では念仏停止を進言した。

 著書、『唯信鈔』一巻は念仏往生における信の立場を明示した。