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『婆沙論』〔『婆沙』77、T27-397a〕では、修所断法とは、十随眠と、それと相応する[[しんしんじょ|心心所]]と、それによって[[とうき|等起]]される[[しんごう|身業]]と[[ごごう|語業]]と、それによって等起される[[ふそうおうぎょう|不相応行]]と、[[ふぜんま|不染汚]]の諸の[[うろほう|有漏法]]とであると説かれる。 | 『婆沙論』〔『婆沙』77、T27-397a〕では、修所断法とは、十随眠と、それと相応する[[しんしんじょ|心心所]]と、それによって[[とうき|等起]]される[[しんごう|身業]]と[[ごごう|語業]]と、それによって等起される[[ふそうおうぎょう|不相応行]]と、[[ふぜんま|不染汚]]の諸の[[うろほう|有漏法]]とであると説かれる。 | ||
:云何修所断。<small>(中略)</small>謂、得見道後、見所断相違、諸有漏法、是修所断義。〔『雑集論』4,T31-711a〕 | :云何修所断。<small>(中略)</small>謂、得見道後、見所断相違、諸有漏法、是修所断義。〔『雑集論』4,T31-711a〕 |
2018年7月14日 (土) 05:32時点における最新版
修所断
bhāvanā-prahātavya: bhāvanā-heya (S)
修所断法・修断・修道所断ともいう。
修道で断じられるもの(煩悩・随眠・結・惑など)。真理(諦)を見ることによって断じられる後天的に身につけた知的な迷い以外の迷い。先天的に身についた煩悩。
『婆沙論』〔『婆沙』77、T27-397a〕では、修所断法とは、十随眠と、それと相応する心心所と、それによって等起される身業と語業と、それによって等起される不相応行と、不染汚の諸の有漏法とであると説かれる。
- 云何修所断。(中略)謂、得見道後、見所断相違、諸有漏法、是修所断義。〔『雑集論』4,T31-711a〕