「もん」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
(→paripṛccha) |
(→悶) |
||
28行目: | 28行目: | ||
: 悶の触に由って心の悶を引生す。 | : 悶の触に由って心の悶を引生す。 | ||
: 云何悶。謂、由風熱乱故、或由錘打故、或由濾故、如過量転痢及出血、或由極勤労、而致悶絶。〔『瑜伽』1、T30-281a〕 | : 云何悶。謂、由風熱乱故、或由錘打故、或由濾故、如過量転痢及出血、或由極勤労、而致悶絶。〔『瑜伽』1、T30-281a〕 | ||
+ | =聞= | ||
+ | <big>śravaṇa: '''śru''': śruta</big> (S)<br> | ||
+ | 4つの認識のありよう([[けん|見]]・'''聞'''・[[かく|覚]]・[[ち|知]])の一つ。(音声や言葉などを)耳で聞くという認識作用一般をいう。 | ||
+ | : [[しょち|所知]]の[[きょう|境]]に於て能く正しく[[かんざつ|観察]]するが故に名づけて見と為し、所知の境界の言説を聴聞するが故に名づけて聞と為す。 | ||
+ | : 眼が見、耳が聞き、乃至、意が了す。 | ||
+ | ---- | ||
+ | 教え([[ほう|法]]・[[しょうぼう|正法]])を聞くこと。[[ちょうもん|聴聞]]とおなじ。→[[もんね|聞慧]] |
2018年8月12日 (日) 18:33時点における版
目次
門
dvāra
(家の)出入り口。
- 門・窓、及び口・鼻などの内外の竅隙を名づけて空界と為す。
āya-dvāra: mukha
(物事が入る)入り口。
- 彼の一切の広大な資財に於て心が好んで受用し、大事業を楽って狭小なる門に非ず。
- 種種の趣入するところの門を示現す。
dvāra: mukha
(物事が生じる)出口。
- 思は意業を以って門と為して転ず。
- 眼を以って門と為して唯だ色を見ることを為す。
paryāya: mukha
部門。区分。
- 縁起の門とは云何。謂く、八つの門に依って縁起は流転す。
- 有性・無性・有色・無色の如く、是の如く、有見・無見などの差別し仮立せし門も是の如き道理に由って一切皆な了知すべし。
問
paripraśna: pṛcchā: pṛṣṭa: pṛṣṭtavat: prach: praśna: praśnayati
(疑問点などを)問う、たずねる、質問すること。問訊とおなじ。
- 事が希奇なれば、或いは暫く他に問い、或いは他の問に答う。
- 世は有辺と為すや無辺と為すや、などと問うことあれば、此れは捨置すべし。
paripṛccha
(挨拶語をもって)問うこと、言葉を交わすこと。
- 菩薩は恒時に諸の有情に対して、野顔し平視し含笑し、先となって、或いは安隠・吉祥を問い、或いは諸界の調適を聞き、或いは昼夜の怡楽を問う。
悶
mūrchā (S)
気絶。気絶している感触。触覚(身識)の対象である感触(触)の一つ。
- 悶の触に由って心の悶を引生す。
- 云何悶。謂、由風熱乱故、或由錘打故、或由濾故、如過量転痢及出血、或由極勤労、而致悶絶。〔『瑜伽』1、T30-281a〕
聞
śravaṇa: śru: śruta (S)
4つの認識のありよう(見・聞・覚・知)の一つ。(音声や言葉などを)耳で聞くという認識作用一般をいう。